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2019/05/11

大岩山日石寺……千厳渓へ

1557535775002306  ← 名前、また忘れた。ハルシオンだったか(ネッ友の方に教えていただいた。ハルジオン[春紫苑]だった。ハルシオンは薬の名前だ)。例年なら、生け垣の周辺に生えてきた正体不明の緑色の植物は、邪魔な雑草だとばかりに、芽の小さいうちに摘み取ってしまう。が、考えてみれば(考えてみるまでもなく)雑草が生け垣の足下、つまりは庭の外縁に育ってくれることで、庭の土の風雨などによる流出を防いでくれている。だから、多少は見映えがしなくとも、敢えてむしったりしないように心がけている。そのご褒美、報いだとばかりに、こうして可憐な花という眼福に恵まれているわけなのだろう。雑草退治は花の時季が終わり、花粉が飛び、受粉が住んでからにする。

旦那の車が飛び石でフロントガラスに傷がついてた!」って呟きがあって思い出した。

 学生時代だったか、夏、中古のバイクを駆って、海へ。とあるちゃんと舗装してある道路でのこと、前を走っていたダンプの荷台から、ゴルフボール大の石ころが落ち、行方を注視していたら、道路上で2度トーントーンと跳ね、何と我輩の胸、鳩尾を直撃。我輩は息を詰まらせた。一瞬、目の前が真っ暗(真っ赤だったかもしれない)になった。何とか転倒せず、路肩にバイクを停まらせることが出来た。大学を卒業後、サラリーマンになって、新車でバイクを買えるように。必ずカウリング(風防)の付いた車種を選んだものだった。

 蔵の脇の花壇。鈴蘭が開花していることに今朝気付いた。ついこの間まで、茶色の土の色しか見えなかったので、今年は咲かないのかと心配していた。そういえば、近所の白木蓮、枯れ木のようだったのが、枝に純白の野鳥の群れが止まっているように見え、今は大きな花弁もすっかり風に散らせ、今はやはり大柄の葉っぱたちが微風に心地よさ気に揺れている。

 今年も紫露草の時季を迎えている。何もしないどころか、時に雑草に悩まされて、芽吹きの頃に片っ端からむしり取る蛮行すら為す中、花の少ない我が庭のあちこちで紫の花で彩ってくれている。朝顔のように、午後遅くには萎んでしまう。いや、ただ花を閉じてしまうだけ、萎むわけじゃない。世が世なら、紫露草こそが朝顔と名付けられ愛でられていたかもしれない。尤も、紫露草とは、何て素敵な名前だと思う。

9784562056347_1  ← ロー ラ・J・スナイダー著『フェルメールと天才科学者 17世紀オランダの「光と視覚」の革命』(黒木章人訳 原書房 )「フェルメールの『地理学者』『天文学者』のモデルとされる顕微鏡科学者レーウェンフック。長年謎だった二人の運命的な関係を新たに解明し、光学の発展と科学革命が17世紀オランダにもたらした「見る」概念の大転換点を解説」。

 本日、読了。感想は後日。

「レーウェンフックが顕微鏡を長時間覗き続けても平気だったのは、近視のおかげだったのかもしれない」! その理由は本文にて(p.396) 眼だけは自信があった自分には、近視の方の事情は分からない。

 彼は微笑な生物の大きさの表現や測定に苦労した。なんたって顕微鏡で覗き見る世界はそれまで誰も見たことがない。砂粒や穀物の種子、髪の毛などと比較した。計測基準に自分の頭髪を使ったことで、世の研究者たちを当惑させた。何だか1.5倍ほど数値が合わない。変だ。普通の髪だと太さは70ミクロン。

 あとで分かったことだが、レーウェンフックが使っていたのは、自分が日頃から被っていたかつら(ウィッグ)の毛だったのだ。アンゴラヤギで、太さは43ミクロン。その事実が分かって、彼の測定値が正確だったことが裏づけられたとか。

1557559668539161  ← 「真言密宗大本山 大岩山 日石寺」へ。真言宗。富山の人間には馴染みの観光地となっていて、大概の人は一度や二度は訪れたことがある。吾輩も、仕事も含め今回で四度目か。快晴微風だったので、バイクを駆って、わざと遠回りしてゆっくりと。往路は、最短で20キロほどだが、30キロの走行で到着。帰路は、買い物をして帰宅。20キロ余りか。

1557559756834417  ← 滝行の名所。修行の場でもある。

1557560406181840  ← 日石寺へは、もう数回目でもあり、今回の目的は「千厳渓(せんがんけい)」。4月23日の朝日新聞の「北陸見聞録」という欄にて紹介されていた。「心身癒やす無数の滝」なる題。雪解け水が豊かで文字通り大岩がゴロゴロしている岩場を削って急流が随所で滝を為す。その間近を石作りの細い道が続く。手摺も苔むしてひんやりした坂の道。

1557560636881474  ← 僧が修行に使った「奥之院行者窟」もあるが、間近に滝があって、水しぶきを浴びることも。真夏に来たら涼しさを満喫できるかも。石の坂道が続く。本来ならそれなりの行程なんだろうが、歩いて数分のところで、この先は歩けないとなっていた。いかにも、雨や雪の被害を受けそう。だからこその修行の場なのだろうが。

1557561149403575  ← 車道を挟んで山側が日石寺、渓流側が(せんがんけい)。麓の食堂や駐車場などのある広場を通って緩やかに登っていく車道。その道を歩いて登るのだが、やや急に感じるのは年のせいか。日石寺を右手にしつつ登ろうとすると、すぐに左側に千厳渓への入り口を目にする。大した歩きではなかったのに、汗が滲む。日差しのせいか、体力不足のためなのか。

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