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2019/03/10

ウグイスの初鳴き…初聴き

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← アレクサンドラ・ホロウィッツ 著『犬であるとはどういうことか  その鼻が教える匂いの世界』(竹内和世 訳 白揚社) 「犬の認知行動の権威がユニークな観察をとおして、匂いで世界を知ること=「犬であるということ」を明らかにする」

 庭仕事やり過ぎ。銭湯行き止め。シャワーで済ます。土や砂利の裏の道、除草剤散布は嫌だし、さりとてコンクリートも躊躇うし、やはり、日々草むしりなのか。

 毎週、豆腐一丁、配達してもらっている。両親が健在の頃は、二丁。今は一人なので一丁に。一丁だけの配達って反って面倒じゃないかと思いつつ、断れなくて。冬は、味噌汁や鍋、麻婆豆腐など。暑くなると、ガスは一切、使わないので、冷奴オンリー。一丁を2、3回に分けて。火を使わない豆腐の食べ方、冷奴以外に何がある?

 アレクサンドラ・ホロウィッツ 著の『犬であるとはどういうことか  その鼻が教える匂いの世界』を読了した。
 人はほぼ失ってしまった匂いをクンクン嗅ぐ習慣。著者は、犬に見習って、なんでも嗅いでみようとする。といいつつ、ペットとなった犬は、やたらと嗅ぐ犬の習性を嫌うようになった。犬もそこたら中を嗅ぐことを自制しているという。
 さて、感想ということではなく、ちょっと夢想的思弁を。

 犬の嗅覚、その能力の凄さは、知れば知るほど思い知る。その能力を何かのマシンで代用できれば、犯罪捜査などにどれほど役立つことか。しかし、そんな嗅覚探知ツールが身近にあったら、浮気は不可能になる! お漏らしも隠せない! ま、そんなことより、本書を読んで感じたのは、人と犬との、ますますの寄り添い(互いに必用とし合う)と同時に、互いの(多分永遠の)もどかしさ。犬の嗅覚能力を知り、匂いの世界を何としても言葉にしたがる人間。が、犬は匂いの世界に生きている。だが、彼等は言葉にはしない。

 ワンちゃんたちは、かなりの多種多様な匂いを覚えているらしい。映像を音声を、あるいは合成された匂いで、匂いの世界を再現しようとする。擬似的な匂い時空。けど、やはり、人間は言葉にすがる。犬の生きる世界を、精緻に言語空間、論理的時空を虚構できるかもしれない。でも、どこまで行っても、擬似的であり、漸近線を描くだけ、片思いに終わるのだろう。隣に寛ぐワンちゃんの頭は撫でられるけど、棲む世界は違うんだろうなー。

コリン・ウィルソン…アウトサイダー:
 コリン・ウィルソンの本を読みたい本に登録している方がいた。懐かしいな。昔、彼の本を結構読んだ。「アウトサイダー」を筆頭に、音楽ものなど、繰り返し。レコードの蒐集ぶりはなかなかのもの。今は、とんでもない音楽通は世界にいるものと、昔よりは弁えている。でも、ウィルソンの本を読んだ時の興奮めいた体験は、ウィルソンが持て囃されていた当時ならではなのかもしれない。さて、いま読んだらどう感じるだろうか。

 こんにち、アウトサイダーというと、アウトサイダーアートなどの呼称で使われることが多い気がする。アートについて、専門的勉強や実習体験のない、あくまで自らの関心と意欲だけで、他者(世間)の理解など、あろうがなかろうが、ひたすらコツコツ、あるいはこれでもかと顕示しつつ、アートする人達。アール・ブリュッ(ト)より、過激で独創的な世界が、世間の常識という厚い岩盤を突き破ってかいま見えてくる。ウィルソンも、アウトサイダーなる言葉が、こうした形で使われるとは、予想だにしなかっただろうな。

 80年代の後半から、抽象表現主義のアートに惹かれていったっけ。ポロックの作品(画集の絵)を前に、あるいは契機に、夜毎、文章を書きまくった。クレーやヴォルスなど、最高。やがて、デュビュッフェなどの、アール・ブリュットへ。ついには、アウトサイダーアートだよ。

 アウトサイダーアートなる呼称を偏見を助長するものだと、使うべきではないと考える立場の方たちがいる。ふむ、微妙。最近は、積極的な価値を付与する方たちもいる。それも微妙。ただただ、表現活動する……せざるを得ない人たちがいるってこと。バリアフリーという発想からすると、異能の方たちをアウトサイダーアーティスと扱いするのは、問題というか、発想が古いということか。

ウグイスの初鳴き…初聴き:

 食器を洗っていたら、窓外から鳥の鳴き声が。うーん、鳴き方が拙い。ウグイスかも。しばらく聞いていたら、段々、馴染みの「ホーホケキョ」っぽい鳴き声になってきた。ああ、何とか、雄姿を撮影したい。慌てて、茶の間へ。窓外の木立を観る。発見! スマホいかない。何か物音がしたのか、テーブルの上のスマホを取って、振り返ったら、姿が消えていた。当然、鳴き声も聞こえない。くそ!

 昔、デジカメを持っていたが(今もあるが)、畑仕事で汗だくになるせいだろうか、レンズに黒い影が。カビだ。その頃は、畑や庭で作業する際、デジカメは常時携帯。鳥や虫や花などを即座に撮影するため。以来、デジカメはもちろん、携帯やがてスマホも玄関に置くようにした。必要が生じたら、玄関まで取りに行く。

 作業中、デジカメを携帯するのをやめた理由は、カメラにカビが生えたからってこともあるが、他の理由もある。当時、やたらと撮影していたもので、それが怪しいとなったらしい。近所の奥様を撮影していると誤解されたらしい。警戒され、避けられ。ちょっと迂闊だった。若くもない女性を撮影するか…なんて言ったら怒られるだろうし。

 話はここからさらに展開する。当時(帰郷して間もないころ)、近所にインコの集団が出没していた。仄聞するところによると、何処かの鳥かペットの販売店からインコが集団で逃亡を図ったというのだ。実際、吾輩は何度か目撃している。玄関の戸を開けると、庭先の梅の木に、あのパステルカラーのインコたちが十羽以上、止まっている。

 予想できるはずもなく、撮影はしてない。たぶん、そのこともあって、自宅にいる際、何処にいてもデジカメを離さないようになった。そしてある日、茶の間に居たら、畑を超した向こうの近所の柿の木にインコが十数羽止まっているんを発見。慌てて台所の戸を開けて、外へ。隣家の畑の際まで寄って、畑の向こうの柿の木を、インコたちを撮影しようとした。

 そこに折あしく、畑の向こうの家の奥様が居た。その方は吾輩が撮影していることに気づかなかったらしいが、近くの別の奥さんが吾輩の不審な行動を目撃していて、その奥さんにその旨を指摘。以来、奥様方に警戒されるようになったのである。

インコ関連拙稿:
今年もインコの季節?
キジも鳴かずば打たれまい
我が家に飛来した野鳥たち
寺田寅彦著『柿の種』あれこれ

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