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2019/03/06

「冷血」から「ヒマラヤ探検」へ

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← F.キングドン-ウォード 著『ツアンポー峡谷の謎 植物採集家による東ヒマラヤ探検記』(金子民雄 訳  岩波文庫) 「ヒマラヤ山脈に長い流路を刻むツアンポー川.その流れに沿って,植物採集家たちは,1924年から1年にわたり,東ヒマラヤ,チベットを旅した.(中略) 探検の記録」。

 アメリカのドキュメント風作品から、一気に飛んでヒマラヤ山脈に長い流路を刻むツアンポー川への探検の記録であるF.キングドン-ウォード 著の『ツアンポー峡谷の謎』へ。
 約百年前、東ヒマラヤ、チベットの峡谷を植物探検家たちが1年にわたって旅した。我輩には(大概の人にしても)出来っこない観察と記録と出合いの体験。

 天気もいいし、自転車で近所の中華料理店へ。初めての店。帰郷して、スーパーで何でも買う習慣ができていて、外食する必然性が薄れた。東京在住時代は、歩いて数分の中華屋さんで日に一度は食事していた。週刊誌(のエッチ画像)を欠かさず読む(眺める)。それが楽しみであった(どっちが?)。
 父母の介護もあったし、外食なんて考えられず、スーパーでのまとめ買い。食事も含め、近所の小売店を回るなんて考えられなかった。父母が共に亡くなっても、スーパー頼り。食事しながら録画番組を観る。テレビ(音楽)鑑賞に没頭するなんて余裕はない。

 スーパーへの買い物は車か自転車。だけど、大概、ルートは決まっている。今日は違う方向のラーメン屋さんへ行った。自転車をゆっくり走らせる。こんな店があるのかとか、ええー、こんなに建て替えしている家が増えている、なんて驚きばかり。
 建て替え流行りなのは、我が家の周辺だけじゃなかったんだ。どうしてみんなこんなに景気がいいんだろう。そうか、消費税アップの前の駆け込み需要か。
 でも、消費税率アップの後は、需要が減るから、車も家も値下げして需要の落ち込みに対処するという話もあるよね。

 ま、余談はともかく、これから折々、自転車であれバイクであれ(時に車でもいいけど)、ラーメン屋さん回りしようかな。庭や畑仕事をサボらないといけないけど。家の畑も、畑から果樹園に切り替えてきたから、畑仕事の負担も減るだろうし。
 雑草退治は運動を兼ねて、晴れた日にだけやる。読書は、車での待機中に読む…ってのも、邪道だよなー。ま、体と相談しつつ、自分なりにやっていく。…のが理想なのだが、さて。

 微風快晴。洗濯物は外干し。これが嬉しい。が、余儀なく庭仕事。今日は、草むしりじゃなく、庭の樹木などの下に散らばっている枯れ葉拾い。ただ、何年も落ち葉拾いをやってきて、流石に我輩も少しは学習することもあった。

 落ち葉はただ拾えばいいってものじゃなく、樹木たちの根元付近に散らしておいて、枯らし、やがて朽ちて土に還せばいい。何がなんでもコンポストに堆積させなくともいいのだ。
 こんなことを学ぶのに、何年を費やしたことやら。今までは落ち葉を綺麗に掃除していたのだ。綺麗に清めるところと、土を肥えさせるための場とのメリハリが肝要。

 夕方、自転車で銭湯へ。ジャケットを羽織らずに行ったのだが、特に帰り道は微風が心地いい。髪の毛が吹く風に、自然のドライヤーになる。学生時代、アパートの風呂上がりに、ノーヘルでバイクを駆って、髪を乾かしたことを思い出した。あっという間に乾いたんだよね。髪形もナチュラルに決まったなー。

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← トルーマン・カポーティ/著『冷血』(佐々田雅子/訳 新潮文庫) 「ノンフィクション・ノヴェルの金字塔。散弾銃による一家4人惨殺事件を綿密に再現」。

「カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた」というもの。謳い文句にもあるように、ノンフィクション・ノヴェルの金字塔も伊達じゃない。

 実に読み応えのある文章で、サスペンス物だったら、最初からネタバレじゃ、読む意欲が失われるはずが、最後まで読ませる筆力はかなりのもの。

 ただ、本書を読んで一体、題名の「冷血」とは誰を指しているのか、分からなくなった。カポーティの取材の賜物なのかもしれないが、犯人二人は冷酷非道の輩とは思えないのだ。
 犯人たちは二人とも、血の通った人間だと感じさせられるのだ。少なくとも一人は精神鑑定が必要だったろうし、一人は不幸な家庭事情が見えてきて、同情はしないものの、犯行に至るのもやむを得ないのかとも思わせられる。

 むしろ、本書の最後に登場する奴こそ、冷酷非情で冷血の呼び名に値する。奴をこそ、カポーティが取材したらどんなだったろうかと想像したくなる。

 本書は、ある意味家族の物語にも見える。カポーティは人間関係、家族関係を丁寧に掘り起こしている。
 だからといって、犯罪が必然的に起こったとは思えないのだが(何故、地域の人たち誰もがいい家族だと見做していた彼らが被害者にならざるを得なかったのか、分からない、そこが理不尽なところ、最後まで解き明かされなかったと感じる)、取材した人々一人一人を描き切ってくれることで、読後感が妙に心地いいのだ。

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