『タタール人の砂漠』…タタール人とは?
← ブッツァーティ 著『タタール人の砂漠』(脇 功 訳 岩波文庫) 「辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちながら,緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ―」。
今日(土曜日)も、庭仕事。足腰の鍛錬と言い聞かせて。
ブッツァーティ 作の『タタール人の砂漠』を三日前、読了した。
本書についての簡単な感想は既に書いている:「『タタール人の砂漠』から『死者の奢り・飼育』へ」
ここでは違う観点から(大概の感想文では、さほど大切ではないからか、触れられていないので)。
本書の解説に説明があったかどうか覚えていないが、タタール人とは。
敵とされるタタール人が姿を現すのは、本小説の末尾であり、少なくとも主人公ドローゴはほとんど姿を垣間見ていない。
その意味でも、タタール人がどのような人々なのかは、本書の内容とは直接の関係はないとも云えなくもない。
そもそも小説の設定では、タタール人はすでに滅んでいて、従って、主人公の任地となった北の国境に位置するバスティアーニ砦は、軍の首脳部も無用の長物と見做していたのである。
何のためにある砦なのか。ドローゴにしても、最初は数か月で別の任地へ移るつもりでいた。が、彼は敢えて残り、ついには死に瀕するまで居残ることになった。そう、軍の思惑もあったが、ドローゴ自身の選択の結果でもあるのだ。誰にも文句は言えない。
それにしても、タタール人と、題名にある!
「タタール人 世界史の窓」によると、「中国でモンゴル人の一部である韃靼を指す言葉にあてられたタタールと、ロシアでモンゴル人一般を意味するタタール、同じくロシアでトルコ系のタタール人を指す場合の3つの違いがある」とか。
← 平昌オリンピックでのアリーナ・ザギトワ ヴォルガ・タタール人のひとりである。(画像は、「ヴォルガ・タタール人 - Wikipedia」より)
小説では、少なくとも韃靼に充てられたタタールではなさそうだ。
しかし、小説を読むと、タタール人という呼称は、かなり曖昧で対象が漠然としている。
どうやら、作者の幼いころに住み暮らしたオーストリアとの国境にほど近いイタリアの山間の、ドロミテ・アルプスという土地柄、若き日、新聞社の特派員として近東各地へ取材旅行した知見などが相俟っているようだ。
近東の荒涼とした砂漠の眺めが、砦の北に広がる無人の砂漠という空漠の背景になっているようだ。
どこでもないどこか、なのである。兵として立つ砦の向こうは、空漠たる広がり、手前に戻れば故郷の土地、その瀬戸際の極めて狭い空間の中で、つかみどころのない日々を生き、気が付けば後戻りできないほどに砦に心身が埋もれてしまって、さて肝心な戦いの時には無用の長物となって、人生の舞台から誰にも気にされることなく消え去っていく、その空しさ。
ある意味、自虐的でありニヒルなのだが、妙に納得させる説得力というか、表現力があり、最後の一頁まで読ませてしまう。
なんだか、案の定と云うべきか、砂漠の中に埋没するようなメモ書きに終わってしまったようだ。
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