「懐風藻」から「唐詩選」へ
← ブッツァーティ 著『タタール人の砂漠』(脇 功 訳 岩波文庫) 「辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちながら,緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ―」。
カボチャと焼き芋、食感、まるで違います! ポテトサラダ、OKです。中のキュウリも(小さければ)ニンジンも食べられます(生だから)。不思議に、酢の物の中のキュウリもOK。多分、生だから。
雪が降らないものだから、冬のこの時期も草むしり。地上部分はようやく生えている程度だけど、根っこの張り具合の凄さときたら! 根っこが、文字通り、蔓延っている! 根っこ網のほうが立派! 力付くで引っこ抜くと、地面が剥がれる勢い。土と根っこが一体だ!
なるほど、冬は、寒い地上より、暖かい地中で思いっきり羽根を延ばしてるんだね。ごめんね、お休みのところ、邪魔しちゃって!
以上は昨日の呟き。
今日は昼から天気は下り坂。ということで、午前中に慌てて外出し、金策やら買い物へ。
さて、午後、なんと晴れてきた。ってことは、吾輩に草むしりしろって天の思し召しだよね。
改めて、雑草の根っこの頑固なほどの蔓延り具合を実感。部屋着のまま、トングを手に、一時間半余り、ウンチングスタイル!
ブッツァーティ 作の『タタール人の砂漠』を昨日(火曜日)から読み始めた。
衝動買い。帯のカフカの再来という宣伝文句にやられた。
憶測ですが、カフカの名は、我輩のようなカフカ好きを惹き付ける手なのかも。現に、著者も作品もまるで知らなかった我輩のようなそこつ者が、書店の岩波文庫の棚で見付けて、カフカの名で背中を押されて買っちゃったんだから、宣伝成功です。昨年11月末だったかな。作風は、カフカとは違う。まだ、冒頭ですが、もっと淡々としている。題名の砂漠のように。でも、読ませる。車中で読むのは、場が悪いかな。
← 『唐詩選 (上)』(前野 直彬 注解 岩波文庫) 「中国・明代に編まれ,江戸時代から今日まで,長らく日本人に愛誦されてきた唐詩のアンソロジー.王維・李白・杜甫ら盛唐期の詩人を中心に,128人,465篇の名詩が選ばれている」。
高校生だった頃、片想いの人に、ゲーテの詩のある一行を教えられ、柄にもなく、ゲーテの詩集を買って読んだっけ。憧れを知るものだけが……。クソ! お前に恋したせいで、勉強が出来なくなったじゃないか! って、はじめからでしょ! ……はい、そうでした。
『唐詩選 (上)』を昨夜から読み始めた。
日本初の漢詩集「懐風藻」に続き、やはり本場の「唐詩選」を。
偽書という説も。中国でより、江戸時代の日本で、寺子屋などで学ばれた。儒者荻生徂徠が宣伝し、その弟子が教科書として流行させる。古代日本形成期の英傑たちが、やや背伸び気味ながらも、漢詩などの素養を身に付けようとしていた、懸命さのみなぎる「懐風藻」。これはこれで感じるものがあった。でもやはり、本場だよね。漢詩は、折々読む。背伸びしてもね。
← 江口 孝夫訳注『懐風藻』(講談社学術文庫) 「751年に編纂された日本最古の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』は、『風土記』『古事記』『日本書紀』『万葉集』と並ぶ国家創成時の貴重な史料、魅力満載の文学作品である。近江朝から奈良朝時代、律令制天皇国家樹立をめざした大友皇子、大津皇子、藤原宇合(ふじわらのうまかい)や遣唐留学生などの詩、新時代への讃美や清新溌刺とした若き気漲(みなぎ)る佳品、120編の文庫版初の全訳注」。
江口孝夫訳注の『懐風藻』を読了。
日本初の文学を意識した漢詩集。古代日本国家形成期の英傑たちが、当時の先進国唐の文化などを学ぶべく、政治制度などと併せ、漢詩などの素養を身に着けようとした、懸命さの漲る、「懐風藻」。これはこれで感じるものがあった。
漢詩は、折々読む。背伸びしてもね。次は、「唐詩選」へ!
漢詩を読むと云っても、読み下し文。これは、云わずもがなか。
それにしても、中国の漢字文化の深さ広さ(歴史の)長さ。古代日本が形成されつつあった頃には、千年の歴史があった。歴史認識が日本は問われることか間々あるが、日本の政治家にそんな見識があるのだろうか。一世代前の政治家にはあったような。今の勇ましい言動を鼓舞する政治家に限って、歴史って、明治維新からしか視野がないように感じられる。明治維新に限っても、司馬だけじゃなく、島崎藤村の「夜明け前」や安岡章太郎著の『流離譚』などの本くらいは読んでほしい。
← ステファノ・マンクーゾ/アレッサンドラ・ヴィオラ[著]『植物は〈知性〉をもっている 20の感覚で思考する生命システム』 ( [訳] 久保耕司 NHK出版) 「動けないからこそ、植物は植物独自の“社会”を築き、ここまで地球上に繁栄してきた」。
植物の成長には音楽がいい。別に、ひと頃、言われたようなモーツァルトとかではなく、低周波の音(楽)。音楽のジャンルは関係ない。特に、根っこが低周波音(の振動)に敏感。音への「屈音性」がある。近年の研究で、根が音を発生できること分かる。植物同士の情報伝達か。根系のなかでコミュニケーションを取ることで、効果的に地中を探索し、うまく根を伸ばすらしい。
本書によると、プラスチックゴミが有害なのは、いつまでも腐食しないこと、海の生物が食べ物(餌)と間違えて食べるからってことだけじゃない。その前に、プラスチックの製造過程で用いられるトリクロロエチレンという有機溶剤。この化合物が世界の広い範囲で水資源の汚染を引き起こしている。この分子構造を破壊することはほぼ不可能(乃至、コストが嵩む)。なので処理されず棄てられる。流れ出す(棄てられる)と、数万年ものあいだ、残り続ける。
ただ、なんと、植物のなかには、吸収し、分解する、偉いやつがあるとか。誰だ、あなたの名前、知りたいぞ!
なんでも、トリクロロエチレンを吸収し、塩素ガス、二酸化炭素、水に変えるんだとか。偉いなー、そいつ。その植物を汚染された地域に植えることは、非現実的?
← 岡本 綺堂 著 『明治劇談 ランプの下にて』(岩波文庫) 「父に連れられて初めて団十郎・菊五郎・左団次の新富座興行を見た.以来,少年綺堂,長じて『東京日日新聞』劇評記者綺堂が見た数々の舞台と名優たちの思い出を綴り,時代の息吹を生き生きと伝える」。
岡本綺堂著 の『明治劇談 ランプの下にて』を昨夜、読了。
半七捕物帖が大好き。妙に懐かしい感じがする。とっくに引退した半七に、ある若者が取り扱った事件について話を聞く。座談。話芸。江戸の世相や雰囲気が生き生き、彷彿と浮かび上がる。江戸の文化や風習、気風を引き摺っていた明治の古老の話をたっぷりと聞いてきた綺堂ならでは。本書には捕物帖の話は全く出てこず、まさか違う(同名異人の)書き手かと、焦ったくらい。明治五年生れの綺堂は、明治の常磐津や浄瑠璃や芝居にどっぷり浸かってきた。綺堂の父が団十郎と交流があったり。実際、後年、歌舞伎などの芝居の脚本も書いている。
この芝居漬けの日々が半七捕物帖にもしっかり活きている。歌舞伎のことなど、まるで門外漢の我輩を厭きさせずに最後まで読ませるんだから、さすがに綺堂である。
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コメント
こんにちは。
懐風藻を一度ゆっくりと読んでみたいです。なかなか踏み切れなくて!
投稿: シゲ | 2019/01/26 09:43
シゲさん 「懐風藻」、国家形成期の英傑たちの、当時の最先端文化を身に着けようという意気込みがぎごちなさの中にも伝わる。読むといっても、読み下し文です。本文は眺めるだけ。それでも、雰囲気は感じる。本書、悲劇の人、長屋王を銘記させるための書に感じられます。
投稿: やいっち | 2019/01/26 11:04