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2018/12/19

「東京が起点」だったのは昔のこと?

Gardencanal_007

← 北陸自動車道にて撮影。(画像は、拙稿「月影を追い 地べたを這う(前編)」より)

 今日は、昨日に引き続き、氷雨とまでは言えないが、しょぼしょぼと雨が降り続く。
 外仕事ができず、雨を恨みつつ、読書と居眠りに終始。
 昨日同様、「カフカ『城』とキャロル『この宇宙の片隅に』を往還」の一日だったわけである。但し、かなりの夢心地を伴いつつ。

 高速道路には、上りと下り路線がある。全ての高速道路に上下の路線があるのかどうかは、知らない。多分、あるのだろう。でも、首都高速などは、上下じゃない路線もある。環状線は、右回り左回りの区別がある(尤も、首都高速は高速道路なんかじゃない、渋滞ばかりだし、制限速度の低さからも、拘束道路だという声もあるとかないとか)。さて、ここからが本題である。

 我輩は、東京在住30年。お盆休みや正月、5月の連休の際は、バイクで、あるいは電車で郷里の富山に帰省していた。当然、往復するわけで、上下線共に利用する(例外は、帰郷の折だけ)。どちらが上りか下りかは分かりきっていた。東京へが上りであり、富山へが下りである。なんでもかんでも、東京が中心かよ、という田舎者ならではの、ささやかな反発心がなくはなかったが、その心理は今は触れない。

 さて、10年前、めでたくも帰郷した。もう、上京する用事もない。東京在住時代の友人らとの交流も途絶えた(あの福島原発の事故で決定的に)。高速道路も、北陸自動車道をたまに利用するばかり。そんなある日、仕事で、北陸道の小矢部インター下りのSAで待ち合わせとなった。ここで、はたと戸惑った。大阪(金沢)方向なのか、新潟方向が下りなのか。我輩の長年の経験(に根差した感覚)に拠ると、金沢(京都や大阪)方向も上りかもしれないが、新潟方向へ走って長岡(湯沢)で乗り換えて、いざ一路東京へ、なのだ。

 つまり、自分の中では、断固、新潟(長岡)方向が上りなのである。もう、長岡を経由して東京へ上るという観念が牢固として染み込んでいる。逆に、富山に戻る際には、関越自動車道を使い、長岡を経由して……と下りの道をひた走る。まあ、簡単に云えば、関越道と北陸道がセットになってしまっていたに過ぎない。常識で考えれば、(悲しくも悔しくも)北陸自動車道は、京都大阪方向が上り、新潟方向が下りであることに異論の挟む余地がないわけだ。

 まあ、東京や大阪、京都を中心に全てを考える。分かりやすい。では、九州や四国や北海道では、どうやって上下の区別をしているのか。大都会(人口の多いほう)中心なのか。この辺りは、別の機会に調べてみる(かも)。

 せっかくなので、ネットで鉄道や高速道の上下について調べてみた。
鉄道、道路の「上り」「下り」はどう決まる? 上下逆転のケースも 乗りものニュース」によると、「鉄道でも道路でも、路線には起点と終点が定められており、原則として起点方向が「上り」、終点方向が「下り」とされてい」るとか。
「北陸自動車道は、「高速自動車国道の路線を指定する政令」では新潟市が起点で、滋賀県の米原市が終点とされています。しかし、全線が開通したときに、JR北陸本線と同じように米原方面行きが「上り」、新潟方面行きが「下り」になるよう、ICの番号やキロポストが変更され」たとは、驚き。逆転。
 しかも、「並行する国道8号は政令のとおり、起点である新潟市に向かう方向が「上り」」なのだとか。
 これまた驚き。我が北陸は、なかなか意外な地域なのだった。

 さらに、ここでは利用できなかったが、「高速道路の上りと下りってどっち方面?全国高速道路総まとめ」がとても参考になる。

 高速道路関連拙稿:
雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)」~「雪の関越道あわや遭難事件(7):完結篇:これが全貌でした篇」 かなり長文。
夜間飛行を堪能する
月影を追い 地べたを這う(前編)
雪の白馬村でスタック(後篇)
一本の木を友にして帰郷せし

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