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2018/11/24

メルヴィルから福永訳「今昔物語」へ

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← メルヴィル 著『ビリー・バッド』(坂下 昇 訳 岩波文庫) 「ある日突然,商船「人権号」から軍艦「軍神号」へ強制徴募された清純無垢の水夫ビリー・バッド.その彼が,不条理で抗いがたい宿命の糸にたぐられて,やがて古参兵曹長を撲殺,軍法会議に付され,死刑に処されようとは…….孤絶のなかで沈痛な思索の火を絶やさなかった『白鯨』の作者メルヴィル(一八一九‐九一)の遺作」。

 メルヴィル作の『ビリー・バッド』を読了した。
 本文そのものは180頁ほどなのに、最初は戸惑うことばかりで、日に30頁を読むばかり。途中から小説らくなって、後半は一気に読めた。

 戸惑った理由は、訳者の坂下氏の注釈が凝っていることと、訳の本文がいかにもメルヴィル的で突っかかることばかりなのである。
 彼の小説はどれもだが、この遺作は、旧約聖書やメルヴィルの尊崇する作家が随所に言及され示唆され、それらに拘りだすと、前に進まないのだ。

 本作を読み始めた頃、偶然ではあるが(たぶん)、野間宏の『真空地帯』を読んでいた
 メルヴィルは軍艦の中は閉じられた世界だというが、陸軍の兵舎の中だって、密封されたような世界、息をしようにも、空気が呑み込めないような、まさに真空地帯なのである。

 そんな特殊な世界だからこそ、兵の犯罪は、歪に理不尽に糾弾され処罰される。
 メルヴィルの『ビリー・バッド』も、一人の無垢というか、世慣れない水夫の、粗暴かもいしれないが突発的な振る舞いが、思わぬ殺人事件になってしまう。

 丘の上なら、あるいは温情……情状酌量の余地も相当にあろうものが、軍艦の中での特殊な論理(ビリーに温情ある計らいをすると、他の船乗りたちに誤ったシグナルとなり、反乱に至ってしまう恐れがある…)が働いて、館長の苦渋の決断で、ビリーは見世物的に死刑に処せられる。マストの上での首吊り。
 明らかに見せしめである。

 メルヴィルは、軍艦という特殊な世界としているが、生きる世界自体だって、メルヴィルからしたら、理不尽がまかり通る世界に他ならないではないかと、指弾しているようにも思える。
 それにしても、遺作ということを考慮に入れても吾輩には読み辛かった。

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→  誰かのつぶやきで京都の話題が。京都が話題に上ることが多いね。我輩、京大病院に何度か入院したこともあって、京都へは何度も。二条城には2度、御所にも数回。惜しむらくは、デジカメさえもってなくて、写真はなし。最後の入院になって、やっとカメラをゲット、撮影。画像は、病室からの眺め。

 夏場からお茶、水だししてきたが、もうホットが恋しい、芳しい。なので、ポットで湯沸し、茶作る。ほうじ茶と緑茶の葉っぱだと、後始末が面倒なので、昨日からパックで。試したら、なかなか。冬場から来春まで、これでいく!

 さて、メルヴィルを読了したので、次は思いっきり違う世界ということで、福永武彦訳というか、ほとんど創作の『今昔物語』(ちくま文庫)を読み始めた。
 出版社の内容案内によると、「平安時代末期に成ったこの説話集は、おそらく大寺の無名の書記僧が、こんなおもしろい話がある、ほかの人に知らせてあげたい、おもしろいでしょうといった気持ちで集め書かれたと言われている。本書は、大部の説話集の中から本朝の部のみをとり上げ、さらに訳者福永武彦の眼により155篇を選んだ。文学的香り高い口語訳により、当時の庶民の暮らしぶりを生き生きと再現している」とある。

 十年ぶりの再読となる。30年の東京生活を終え、帰郷した直後に手にした本。
 当時の日記には以下のように書いている(拙稿「『今昔物語』:風のかたみ」より):
 

東京を離れるので、長く利用させてもらってきた図書館に本やCDを返却してきた。もう、あの馴染みの図書館を利用することはない。本はすべて処分したか梱包を済ませて、手元には一冊もない。残り少ない東京での日々や帰郷の列車内で何か読もうと久しぶりに書店へ。分厚い、面白いが夢中になって一気に読了する怖れのない本を物色していたら、本書に手が伸びた。『今昔物語』なる古典を福永 武彦が訳してくれていて、150編ほどの短編集といった体裁になっている。これなら申し分ない。『今昔物語』は、いつかは原典で読み通したいと思いつつも、そのあまりの浩瀚さぶりに躊躇われてきた。まずは福永 武彦の手で『今昔物語』の混沌なる世界に導いていってもらおう。

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← 篠田 鉱造 著 『増補 幕末百話』(岩波文庫) 「幕末維新を目のあたりにした古老たちの話は想像もつかない面白いことずくめ.日本社会の激変ぶりを語る実話集」、さらに、「明治も半ば,篠田鉱造(1871-1965)は幕末の古老の話の採集を思い立った.廃刀から丸腰,ちょんまげから散切,士族の商法,殿様の栄耀,お国入りの騒ぎ,辻斬りの有様,安政の大地震,道具の投売……幕末維新を目のあたりにした人々の話は,想像もつかない面白いことずくめだった.日本社会の激変期を語る貴重な証言集」とか。

 相変わらず、車中での待機中には読書。今は、篠田鉱造著の『増補 幕末百話』を読んでいる。
 気になったことをアトランダムにメモする。

 明治政府が作った兵学校に、旧徳川の門閥家が集められた。旗本御家人たち。その素養のなさは呆れるばかり。まるで、現副総理や現オリンピック・パラリンピック担当大臣みたい。

 幕末の浪人による異人斬り、相当なものだったようだ。異人嫌悪もあるが、幕府に対する嫌がらせの面も。異人斬り事件のたび、幕府は外国の政府に詫び、賠償金を払うことを余儀なくされる。そのうち、浪人のやったことだと開き直ったりもした……のだが、それがやぶ蛇で、幕府の権威が失墜し、好対照と云うべきか、朝廷という権威の存在がクローズアップ。これも、倒幕側の筋書きの一つだったのか。維新側は認めないだろうけど。

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