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2018/11/19

富山の象徴:大転石

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→ 内庭にも秋。

 今日は、冬場の地震による鉄砲水によって流された巨石の幾つかを見学に、バイクを駆って当地へミニツーリング。当然ながら、今日では、巨石の半分以上は埋まっている。こんな巨石が数百個も鉄砲水で流され、ついには川の流れさえ変わってしまったという。
 富山の、平野部(その中心近く)に住む自分は、18歳で郷里を離れ、36年後に帰郷した。

 盆や冬休みには帰省していたが、富山のことをほとんど知らない。
 いい店も訪ねるべき風景、積み重ねられただろう歴史のほとんどを知らない。

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← 我が家の庭に、小さい秋、見つけた~♪

西大森、西番、大場の大転石(立山町、富山市) – GOOD LUCK TOYAMA」によると、「常願寺川扇状地には、直径約4m〜7m、重量約100t〜600tの巨石が40数個分布しているといいます。これらの巨石は、安政5年2月26日(1858年4月9日)の未明に発生した大地震の後の鉄砲水によって流されたもの」とか。

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→ 「大場の大転石」「安政5年の大地震の後、 鉄砲水で流される 常願寺川扇状地には、直径約4m〜7m、重量約100t〜600tの巨石が40数個分布」している。 情報は、「西大森、西番、大場の大転石(立山町、富山市) – GOOD LUCK TOYAMA」より) 

 さらに、「西大森、西番、大場の大転石(立山町、富山市) – GOOD LUCK TOYAMA」によると、「この大地震は、越中・飛騨国境(現在の富山・岐阜県境)の跡津川断層を震源に発生し、マグニチュード7・0〜7・1と推定されているそうです。飛越地震、安政飛越地震と呼ばれてい」る。

 飛越地震については、拙稿「飛越地震から150年」にても扱っている。

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← 「西大森の大転石。高さ7.2m、周り約32.4mあると言われる。かつては、真川・湯川合流点にあり、1回目の洪水で横江地先まで転がり下り、さらに2回目の洪水で現在地まで移動したそうです。この石によって水勢が変わって西に走り、西大森から下流の右岸側の被害を少なくしたと言われ、村民はこの石の恵みに感謝し、碑を建て、護岸の神として祭るようになったそう」(情報は、「西大森、西番、大場の大転石(立山町、富山市) – GOOD LUCK TOYAMA」より)。

 富山市西大森にある巨石(転石)。最初上の方の大岩を見て、成る程、大きい、こんなのが鉄砲水で流されたのか……と、感慨に耽ろうとしたが、とんでもない勘違いだった。それは記念碑としての岩に過ぎず(それでもでっかい!)、その下のスロープのような石面こそ、流された巨石の、ほんの一面だったのだ。

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