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2018/10/01

晴れは嬉しいが読書には……

 築65年の我が家。台風の被害はほとんどなかった。昨秋の台風では、屋根瓦が飛ばされただけに、一安心です。被害に遭われた方たちにはお見舞いを申し上げます。
 8月から9月にかけては、庭仕事が最盛期。毎日、暑く、晴れるので、休日であっても、休めない。雨の日は、外仕事はサボれるのだが。9月の後半になって、折々の雨天に、どうどうと外仕事をサボれるように。

9月の読書メーター
読んだ本の数:11
読んだページ数:3553
ナイス数:2015


うらめしい絵: 日本美術に見る 怨恨の競演うらめしい絵: 日本美術に見る 怨恨の競演感想
面白く、一晩で一気に読み切った。気になる絵が多く、パソコンで画像を確認したり、楽しんだ。

 本書については、「【聞きたい。】田中圭子さん 『うらめしい絵 日本美術に見る怨恨の競演』 レビュー Book Bang -ブックバン-」が参考になる。
 文中にあるように、「恨みを抱き、死んだ人を描く幽霊画のジャンルは、日本以外に類を見ないそうだ。「うらめしい」という言葉も翻訳しにくく、「嫉妬、復讐(ふくしゅう)、怒りなどいろいろな言葉で置き換えられるが、複雑な感情を一語で表す語がなかった」という」。

読了日:09月26日 著者:田中 圭子


土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話感想
デイビッド・モントゴメリーの本は、共著だが、昨年、『土と内臓 微生物がつくる世界 』(片岡 夏実 [訳] 築地書館)を読んでいる。
 細菌(微生物)関連の本は、一昨年暮れからずっと読んできた。
 その中でも、この『土と内臓 微生物がつくる世界 』は一番、視野が広いと感じた。
 本書は、その視野を一層、広げている。著者は一貫して、「土」を研究してきている。
読了日:09月25日 著者:デイビッド・モントゴメリー


ディカーニカ近郷夜話 後篇 (岩波文庫 赤 605-8)ディカーニカ近郷夜話 後篇 (岩波文庫 赤 605-8)感想
今朝未明、読了。ゴーゴリの若書きの作品。彼の故郷であるウクライナの、古き風俗や伝説の類いをいかにも彼らしいユーモアタップリに描いている。郷里や郷里の人々愛が感じられる。我々はやがて、「鼻」「外套」「狂人日記」、さらには「死せる魂」「ヴィイ」などを書くに至ることを知っているので、その根っ子、原石を嗅ごうとしがち。取材を重ねて創作したんだろうが、どんどん描き込んでいく作家魂を窺えて楽しい読書体験になった。
読了日:09月24日 著者:ゴーゴリ


江戸東京実見画録 (岩波文庫)江戸東京実見画録 (岩波文庫)感想
仕事があまりに暇で、車中で読了。浮世絵などでは見られない江戸の風俗画と短文の説明文。
読了日:09月22日 著者:長谷川 渓石


ディカーニカ近郷夜話 前篇 (岩波文庫 赤 605-7)ディカーニカ近郷夜話 前篇 (岩波文庫 赤 605-7)感想
ゴーゴリが若いころ(22か23歳)に書いた作品。ウクライナの生まれのゴーゴリは、母らに郷里の風俗や伝説、果ては女性らの服装、結婚風景などを聞きまくり、民話風の話を仕立てた。ゴーゴリというと、『死せる魂』や『検察官』など、自然主義の作家というイメージが濃いが、本作は、極めて土俗的な、それでいて超自然的幻想味たっぷりの、ユーモアのある作風である。悪魔や妖女の類が民衆の間に普通に信じられている、そんな世界への馴染みがやがて、傑作「ヴィイ」に結実する。本作は妖怪ものでは、筆頭に挙げていい作品である。
読了日:09月19日 著者:ゴーゴリ


イザベラ・バードのハワイ紀行イザベラ・バードのハワイ紀行感想
1831年生まれのバードの本は3冊目。気が付けばファンになりそうな自分がいる。彼女の紀行文は並のレベルじゃない。観察力・分析力・表現力が際立つ。でも、特筆すべきは敢えて行動する好奇心の強さ。溶岩の噴き出す河口を間近で観たくて、文字通り命からがら馬など駆りながら向かっていく。現地の人の馬への無慈悲な扱いに心を痛めつつ。彼女は、当時の女性は馬には横すわりが当たり前だったのを、現地の女性に見習って普通に跨って乗った。だからこそ、どんな険しい岩場の道なき道も踏み分けていけたのだ。そんな彼女は、脊椎の病気。
読了日:09月18日 著者:イザベラ バード


文豪の女遍歴 (幻冬舎新書)文豪の女遍歴 (幻冬舎新書)感想
筆者は作家の伝記を書くのに熱心。伝記では、男女関係の話題が面白い。異性(同性)関係が作家の文業の理解につながるかどうかは、作家それぞれで違う。実際、本書を読んで作家の理解に資したかどうかは、かなり怪しい。あくまで車中での待機中の暇つぶしに、皆さん、お盛んだなーと思うだけ。扱われる書き手もかなりが忘れられた存在。吾輩が辛うじて覚えている程度か。生前は世上を賑わせたりもしたものだが。生きている間にさえ、話題の渦中になればと思うのなら、スキャンダルを巻き起こし、それを自らネタにするのも一つの手段ということか。
読了日:09月15日 著者:小谷野 敦


セックス・イン・ザ・シー (講談社選書メチエ)セックス・イン・ザ・シー (講談社選書メチエ)感想
海に生きる生物たちの、まさに驚くべきセックスの多彩なる世界。以下は、本書の話題のほんの一端を羅列しておく: 海では尿が強力な媚薬になりうる。
 コウイカは異性の装いで目を欺く。
 体が小さいほど精巣が大きいという魚がいる。
 仲間(など)からの影響を受けて性転換することは、海では珍しくない。
 エビの一種では、オスになるかメスになるかは食べる海藻の量次第。
 巻貝はペニスを捨てても再生できる。
 アオイガイのオスは取り外しと発射が可能なペニスを持つ。

読了日:09月13日 著者:マラー・J・ハート


完全な真空 (文学の冒険シリーズ)完全な真空 (文学の冒険シリーズ)感想
宇宙論をはじめ、サイエンスに関心のある元SF好きの小生には興味津々の書評を装った短編集……というか、サイエンス放談集のような作品。
「小説から離れた最晩年も、独自の視点から科学・文明を分析する批評で健筆をふるい、中欧の小都市からめったに外に出ることなく人類と宇宙の未来を考察し続ける「クラクフの賢人」として知られた」という。
 科学の専門家ではないが、晩年まで科学や文明の行く末をあこれこ考察する資質は、身の程知らずながらも共感してしまう。
 日本だと、安部公房辺りをふと連想する。
読了日:09月10日 著者:スタニスワフ・レム


告白録〈下巻〉 (1958年) (新潮文庫)告白録〈下巻〉 (1958年) (新潮文庫)感想
久しぶりに、ひょんなことから『告白録』を読み返して、ルソーの人間性に辟易したりすること多いが、被害妄想じゃなく、彼の住む家に煽られた民衆に石を投げつけられ、窓ガラスも破れたりした体験もあって、あながちルソーの妄想ともいえないことも分かった。
 文章を読んでいて、ルソーの天才性の閃きを感じることもあったが、それ以上に、当時の世の中に対し、危険を顧みず、敢えて批判的著作や言動を為す、向こう見ずな性分も垣間見ることができた。
 やっちゃダメ、言っちゃダメなのに、やっちゃうし、書いてしまうルソー。
読了日:09月04日 著者:ルソー


魔術的芸術: 普及版魔術的芸術: 普及版感想

本書は、新装版と銘打っているように、最初に刊行されてから最早半世紀を経ている。

 シュルレアリスムの主導者のブルトンの面目躍如の本。
 といっても、執筆(全五巻の美術史シリーズの一冊『魔術的芸術』)を依頼されて快諾したものの、いざ取り掛かってみると、相当に難儀したようで、当時若手のジェラール・ルグランの協力を仰いだ。題名の magic は魔術と訳すか、呪術と訳すか。ブルトン自身は、必ずしも意味的に限定はしていない。自由に捉えることで、芸術を広く捉えようとしているのかもしれない。

読了日:09月02日 著者:アンドレ ブルトン



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