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2018/10/03

山本義隆著『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』は必読

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← 山本 義隆 著 『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書) 「明治100年の全共闘運動,「科学の体制化」による大国化の破綻としての福島の事故を経たいま,日本近代化の再考を迫る」とかといった内容。

 山本義隆著の『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』を読了した。
 日本の近代を改めて根底から問い直すべきと思い知らされる書だった。
 既にメモ書きの形で、折々要点を綴ってきた。
 小生の下手な感想など要らない。とにかく一読を勧めたい。
 以下は、ここ数日で呟きの形でメモった数々。可能な限り、原文そのままの転記を心掛けたが、車中での待機中のことなので、多少の吾輩の主観が混じっているのは容赦願いたい:

 2015年の防衛省との契約実績上位10社は、川崎重工、三菱重工、IHI、三菱電機、NEC、東芝、富士通、コマツ、住友商事など。防衛省の自衛隊高級幹部の多くが、退職後これらの企業に天下っている。
 水俣病の最初の患者が認定されたのは1953年、59年には熊本大学の研究班が水俣病の原因は有機水銀だろうと考えるに至る。その水銀はチッソの工場から排出と突き止めた。厚生省がその事実と企業責任を公式に認めたのは68年。59年にチッソ附属病院の細川医師が、工場の廃液を与えられた猫が水俣病の症状を起こしたことを確認するも、チッソ上層部からの圧力で実験は中止させられた。……チッソが責任を認めたのは、有機水銀発生源のアセトアルデヒドの生産が終了してから。
 チッソは新規の患者の発生を防止するよりも、生産の持続を優先させた。結果、不知火海沿岸二十数万人の住人が犠牲に。 
 1959年、水俣病の原因はチッソの廃液中の有機水銀だとする熊本大学の研究班の表明を、厚生省食品衛生調査会は支持。が、当時の通産大臣・池田勇人は、閣議でチッソの廃液と水俣病の因果関係を否定。よってチッソはなんの対策もとらず、60年代をとおして患者が爆発的に増え続けた。国は、成長第一主義。今もって、国は患者に冷たい。
 四日市の公害も同じ構図。硫酸などの海への垂れ流しを通産省が黙認。……生産第一・成長第一とする明治一五〇年の日本の歩みは、つねに弱者(漁民や農民や地方都市の市民)の生活と生命の軽視をともなって進められてきた。
 失われた20年。格差の拡大とデフレの進行。貧困層の増大。国内の需要は伸びない。軍需産業への傾斜。たとえば日本を代表する企業のひとつだった東芝は、すでに家電部門を中国企業に引き渡し、原発部門は破綻し、半導体部門も放棄する事態に。残るのは軍需生産部門だけに。
 公害問題では、旧帝大は、原因や企業責任の追求では、ほとんど阻害する役割だったという印象。一方、地方の大学や地域の研究者の頑張りが目立つ。所謂、学識者やら有識者の胡散臭いこと。誠実な研究者らの現場の声を無視し、思い付きのような理屈でちゃんとした結論を先伸ばししたり、隘路に導いたり。原発の事故対策や原因の追求についても、国と有識者らが過去の愚を繰り返しつつあるのではと、心底、心配だ。

 岸信介元首相の潜在的核武装論。アベ政権が原発をベースロード電源として死守するのも、彼の祖父である岸元首相の考えに沿うもの。2011年の福島の事故後、ドイツとイタリアは脱原発を宣言した。これは、両国は将来にわたって核武装はしないという国際的メッセージ。日本は、いまだに原発と核燃料処理に固執。日本は、国連で122ヵ国が賛同した核兵器禁止条約には、核保有国と共に署名を拒んでいる。これらは、日本が将来的な核武装のオプションを残していることの状況証拠となっている。

 日本の原発建設ラッシュは、日立、東芝、三菱、傘下や関連するゼネコンなどの企業を儲けさせるため。一基五〇〇〇億円の商品が年に二基平均で国が買い上げられる。こんなうまい商売があろうか! 社会保障費は抑制される一方、軍需産業や原発メーカーは国に過剰に保護されてきた。役人の天下り企業は守る!
 原発の安全性は何重ものチェックが効いている……政府関係者や有識者はのたまう。が、安全装置が有効に機能するかは、確かめることが不可能。機能するはずだという希望的観測あるのみ。安全性の実験などやろうものなら、大変な事態が起きかねないのだ。せいぜいコンピューター・シミュレーションなる模擬実験だけ。つまりは、原発はきっと安全でしょうと、目を瞑って高速道路を突っ走っているってことなのだ。
 アベ政権の成長戦略。武器輸出・原発輸出・カジノ。なんだこりゃ!
 津波のせいなのか、そもそも地震の揺れのせいで起きたのか、未だに原因追及が中途半端な福島原発の事故。この事故を引き起こした原発は軽水炉型。政府などは古い型であり、新規の原発は安全であるかのような印象操作を図っているようだ。
 この軽水炉型原発は、そもそも軍事用に開発された原爆を急遽、民間用に転換したもの。なので、本来なら徹底的に施すべき安全対策が極めて不十分だった。原爆は物理学者が開発したが、原発は技術者が作った。原子力の持つ危険性に対する認識も研究も物理学者ほどではなかった。
 いうまでもないが、原発は一旦稼働したならずっと稼働させ続けないと採算性が悪い。何が何でもベースロード電源であるしか使いようがないのだ。
 それにしても福島原発。2016凍土遮蔽壁は完全に凍結させることは難しいと発表した。今更なんだ!
 溶解した核燃料の状態は未だに分かっていない。もう、お手上げなのだ。
 本書で指摘されたこと、教えられたことは多々ある。メモしきれないほど。
 明治150年。戦後の総括。本書は、題名にあるように、まさに「近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻」をこれでもかと教えてくれる本。日本がここまで行き詰まっているとは。
 だが、この現状認識から始めるしかないのだ。

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