「富山ガラス大賞展2018」へ
← 富山市ガラス美術館(キラリ)で開催中の「富山ガラス大賞展2018」へ。英語の呼称では、「富山国際ガラス展2018」である。日本人作家の作品もあるが、海外作家の作品が多い。
ガラスアートが好きで、昔書いた小説の主人公をガラス作家にしたほど。熱してドロドロに溶けたガラスに彼女が息を吹き込むことで形になる。つまり、作品は息(命)の形そのものだというわけである。
展覧会へ行った以上は、必ずカタログをゲットしてくる。会場で観た作品とは、言うのも野暮ながら印象が違う。自分だったら、違うアングルで撮るだろうなーと思ったり。ちなみに小生は、ガラス作品以外に、陶芸をテーマの作品も書いたことがある。備前焼を脳裏にしての創作だった。
→ 「富山ガラス大賞展2018」展覧会の会場の作品は撮影禁止。こっそり撮影しようにも、来場者が疎らで、会場内の見張り(?)のスタッフのほうが多いほど。静かすぎる館内での撮影なんて論外。では、この作品は? これは6階にある常設の作品で、スタッフも撮影OKと。かなり、巨大な作品。デイル・チフリー(Dale Chihuly)のインスタレーション作品。
陶芸とガラスアート。いずれも造形作品であり、立体。陶芸は伝統工芸なのだろうし、ガラスも数千年の歴史はあるのだが、新しい営為であり近代的なアートという印象は自分にはある。
陶芸は、形はとことん作家の手になるし、釉薬も職人が施す。
でも、最後は竈に入れて焼くという工程が待っている。
竈から取り出して釉薬などの焼け方をドキドキして確かめる。ある種の偶然性(などと云うと、軽薄と叱られそうだが)が面白みを醸成する。
← 「Shield Ⅱシールド ツー」 ビョルク・アエサ(ノルウェー) GRAND PRIZE 大賞作品 「左右からプロジェクターで人体のおぼろげな映像を映し出し、脳波に連動する音を流して、人間の内部に潜む形の定かでない感情を表現してい」る。虚実皮膜の時空を表現しているよう。
一方、ガラスアートも、火と親縁性がある。
が、色合いや手触り感も含め、作家が効果などを確かめつつ、最後の最後まで完成に関わる。
素材などの違いはもちろんだが、最後の瞬間での作家の関わり方に大きな違いがある(と吾輩は思う)。
→ 自転車を駆ってのガラス美術館からの帰り道、川沿いの道に差し掛かったら、日溜まりの一角に水鳥たちが日向ぼっこしているのに気付いた。五日間の連休だったので、庭仕事たっぷり。高岡市博物館へ。車の車検。数年ぶりに富山市のプールへ。富山市ガラス美術館。勿論、読書もそれなりにと、中身の濃い休みになったと思う。
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