読書三昧とはいかないが
山本義隆著の『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』を車中での待機中に読み始めている。
車中で読むような本ではないのだが、やむを得ない。
← 山本 義隆 著 『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書) 「明治100年の全共闘運動,「科学の体制化」による大国化の破綻としての福島の事故を経たいま,日本近代化の再考を迫る」とかといった内容。
幕末から維新にかけて、日本は欧米の科学技術力に圧倒され、追いつき追い越せでやってきた。その主眼は、軍事など富国強兵に役立つこと。科学はあくまで技術に資するもの。自然との対話や自然の奥深さへの畏敬の念は皆無に近かったよう。神との対話のあった欧米に比べ、科学への問い詰めは薄い。欧米だって技術への傾斜は相当なものがあったが、同時に古代ギリシャ以来の哲学や宗教、自然学が骨格として確固たるものがあった。
明治前期に上級学校に進んだのはほとんどが士族の子弟で、明治期の技術者はその大半が士族出身者で占められていた。職人らは、そのまま。 職人や商人の仕事を蔑む士族に技術者足らしめるには、舶来という箔が必要だった。
強烈なエリート意識と、官尊民卑の始まり。
先進的なすべての国から自由に最新の(十分洗練された)機械を輸入できた。
明治期の紡績工場は、女工哀史的実態。フランスの識者は悲惨だと指摘するも、福沢諭吉はコストの安さは日本の利点だと肯定的。しかし、女工らは、拘置所のような工場からの離脱を図ったり(成功せず)、多くは結核に罹患。
漱石の「坑夫」は、足尾銅山で働いた人物の実体験に基づく作品。漱石の作品の中で、一番手法的に先進的。
富岡製糸場や紡績工場は、まさに女工哀史の世界。長時間労働、低賃金。彼女等の犠牲もあって輸出の黒字を出した。
← デイビッド・モントゴメリー著『土・牛・微生物 文明の衰退を食い止める土の話』(片岡 夏実 築地書館) 「文明の象徴である犂やトラクターを手放し、微生物とともに世界を耕す、 土の健康と新しい農業をめぐる物語」とか。「ベストセラー『土と内臓』『土の文明史』に続く、土の再生論」。
自宅では、デイビッド・モントゴメリー著の『土・牛・微生物 文明の衰退を食い止める土の話』を少しずつ読み進めている。
副題通りの内容。化学肥料や除草剤、防虫剤を多用しない(必要最小限にとどめる)農業を目指す。大切なのは、ダートではない、黒っぽいsoil(土壌)作りが肝心。連作ではなく輪作を心掛け、土の表面を収穫の終わった幹や葉っぱをそのまま朽ちらせたりして、保水力を高める。
中南米やアフリカなど、地面を犂で起こして種を植え、育て収穫する。雑草は除草剤で、栄養は化学肥料で。その繰り返しが土をやせ衰えさせ、雨が降るたびに土壌が流れゆき、雨水は保水されず、あの赤茶けた痩せた、風が吹くと土が舞い上がる土地に成り果てていく。今、アフリカでも、徐々に大地を草で被覆し、有機物を保ち、水を保つ農業が広まりつつある。
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