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2018/08/08

E・ガレアーノ著『収奪された大地 ラテンアメリカ500年』に震撼

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→ 表の庭に高砂百合が咲き誇ってきた。こんな真夏の最中に。夾竹桃に負けない生命力。

 実に久しぶりの雨。西日本の皆さんには申し訳ないけど、畑や庭には、乾天の慈雨。物足りないくらいだけど、贅沢は言えない。パサパサの土が一瞬、しっとりと。雨が上がったあとも、やや曇りがちで、猛暑も一段落。わがままを言えば、夜にもひと雨を。

 富山には、接骨院やマッサージ店が実に多い。みんな、営業、成り立っている? 富山の人って、体、凝っている人、多い?

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← 表の庭、一番目立つところに夾竹桃。刈り込んでも、ドンドン育ってくる。庭の土の栄養を独り占めの勢い。花の乏しい我が家の庭に、真っ白な花を恵んでくれる。

 一昨日の庭仕事の最中、何かが袖口から飛び込んだ。伐採していた枝葉のきれっぱしかと思ったが、突然、右腕に痛みが。木切れが腕に傷をつけたのか……そうじゃない、この痛みは、擦過傷の痛みじゃない。案の定だった、作業を終えて、シャワーを浴びた際に右腕を観たら、腕の折れ目付近に、明らかに虫刺されの跡が。しかも、蚊の類じゃなく、もっと質の悪い奴。夜の間に癒えるかと期待したが、朝には一層、腫れている。一日経って、今日も晴れたまま。これだから庭仕事は怖い。
 念のため、断っておくが、庭仕事の際は、ズボンに作業着、長靴、分厚い手袋、鍔の広い帽子。マスク。首にはタオル。つまり、肌がさらされているのは、耳元から目元周辺のみ。

 E・ガレアーノ著の『収奪された大地 ラテンアメリカ500年 新版』(,大久保 光夫 (訳) 藤原書店)を読んでいて、スペインやポルトガルの蛮行に怒り心頭である。
 人間は、色と欲に駆られると、どこまで野蛮になれるか、つくづくと思い知る。
 しかも、宗教的権威の威光を笠に着て。

 が、本書を読んで知ったのは、これらの国の背後に、スポンサーとなる国(や資本家)があるという事実。
 イギリスだったり、フッガー家だったり。
 イギリスの産業革命も、その元手はラテンアメリカ諸国を収奪した利益が豊富にあったからだった。

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→ サン・フランシスコ・デ・アシス教会(ブラジル) (画像は、「ゴールドラッシュの富が生んだブラジルの傑作バロック建築 今日の絶景」より) 左記サイトによると:   「ブラジル南東部に位置するミナス・ジェライス州の高原都市、オウロプレトは、17世紀末から始まったゴールドラッシュによって繁栄した。数多くの人々とあふれる富が流入したこの街には、素晴らしい芸術が花開く。その代表が、サン・フランシスコ・デ・アシス教会。地元出身の彫刻家兼建築家、アレイジャジーニョが手掛けたミナス・バロックの傑作は、ブラジルで最も美しい教会とまで讃えられる」。「オウロ・プレット - Wikipedia」や「世界遺産|第243回 古都オウロ・プレット、コンゴーニャスのボン・ジェズス聖域 ON AIR HIGHLIGHT」などど参照。 

 さて、上掲書で教えられたことは多いが、今日はややスピンアウト的な記事を。
(上記引用文中に、ブラジルのゴールドラッシュ云々という話があるが、むろん、地元ブラジルやブラジルの人びとが潤ったわけでは決してない。儲けは全てポルトガルの奴らや本国へ向かうだけ。地元の先住民はとことん奴隷として搾取され虐待されるだけ。)
 ポルトガルがブラジルでのゴールドラッシュでカネ余りの挙句、やたらと教会を作りまくった。内部には黄金の器具がこれでもかと使われたことは言うまでもない。
 ただ、ポルトガルの一瞬の輝きもあっけなく終わり、教会内部の持ち運べる器具は残るはずもない。
 ただし、「記念碑的なバロック様式の作品、すなわち、黒人の奴隷と有名な職人の天才的な息子で、「アレイジャジーニョ」とか「小さな不具者」と呼ばれたアントニオ≂フランシスコ・リスボアが設計し彫刻した破風と説教台、祭壇彫物、桟敷、肖像は、植民地の廃墟の上にいまでも残っている。「アレイジャジーニョ」が(中略)聖所の庭で大聖人すべての肖像を彫りはじめたとき、一八世紀はすでに幕を閉じようとしていた。作品は「予言者たち」と呼ばれたが、そこにはもはや予言にかかわる光輝はなかった。金の多幸症は過去のことだった。壮麗と歓喜はことごとく消え失せ、希望の入り込む余地はなかった。滅びるために生まれたあの束の間の金の文明の壮麗なモニュメントとしての最後の劇的な証拠品は、ブラジル史全体のなかでもっとも才能に恵まれた芸術家によって後世に残された。籟病のため形相が変わり、不具になった「アレイジャジーニョ」は、指のない手に箍(たがね)と槌をしばりつけ、毎日、明け方に、仕事場までひざまずいて這うようにして通いながら、彼の傑作を完成させたのである」(p.127)。

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← E・ガレアーノ (著)『収奪された大地 ラテンアメリカ500年 新版』(,大久保 光夫 (訳) 藤原書店) 「世界史や官製の歴史が無視、あるいは隠蔽してきた無数の事実をちりばめながら、過去五百年の永きに渡ってラテンアメリカが外国によって開発=収奪されてきたさまを、描き出したラテンアメリカ史の古典」。

 この節の最後には、「ミナス・ジェイラスのノサ・セニョーラ・ダス・メルセス・エ・ミゼリコルディア教会では、冷たい雨の降る夜、いまは亡き鉱夫たちがいまだにミサを行っていると伝説は述べている。そして、司祭が戻ってきて、主祭壇から両手をあげれば、鉱夫たちの髑髏が現れるのである」。
(数知れない鉱夫たちは、毒素の充満する劣悪な鉱山の中で一年も働かないうちに廃人同然となり死んで行ったのである。)

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