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2018/08/21

フォートリエとヴォルスに魅入られて

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→ アンフォルメルの画家ジャン・フォートリエの「人質の頭部」 (画像は、「ジャン・フォートリエの「人質の頭部」:Autoportrait:So-netブログ」より)

 何だか知れない闇の圧力に圧し掛かられて、顔が心が歪んでしまっている人がいる。闇の中の手は、その人の親の姿をしているのかもしれないし、もっと形の抽象的な、表現に窮するような何かの形をしているかもしれない。
 あまりに早く生きる上での重石を感じ、打ちひしがれてしまった人は、気力と胆力があれば、人生そのものに反抗するかもしれない。あるいは自尊心の高すぎる人なら、人生を拒否するかもしれない。生きることを忌避するのだ。

 人生の裏側の世界へ没入していくのである。数学の世界に虚数というものが存在するように、人生にも虚の広大な世界が実在する。虚の実在。

 オレは、コンクリートかアスファルトで舗装された大地に住まう。その大地には息する余地さえ与えられない。それが現代における都会だ。少なくとも歪んだ心と共に生きる人には、新鮮な大気というのは、夢のまた夢なのである。
 それでも生きている限りは息をする。懸命に酸素を吸おうとする。

 捜しているもの、求めているものは、ユートピアなのかもしれない。恩寵の到来なのかもしれない。この世の誰にも打ち明けることのありえない、自分でも笑ってしまいそうなほどに滑稽な、でも、切実な光の煌きへの渇望なのかもしれない。そんなことがありえないと、自分が一番よく分かっている。そんなことがありえるくらいなら、そもそも、自分が苦しんだり悩んだり虐められたり追い詰められたりするはずがなかったのだから。

 闇の世界に放り出されて生きてきた以上、闇の中で目を凝らして生きる余地を捜し、真昼のさなかに夢を見る。その人の目は、この世の誰彼を見詰めている。けれど、その人の目は、誰彼を刺し貫いて、彼方の闇を凝視している。何故なら自分がこの世に生きていないことを知っているからだ。

 そして心底からの願いはただ一つ、自分を救って欲しかったというありえなかった夢だということを知っているからだ。そうした夢が叶うのは虚の世界でしかありえないのだ。だから、この世を見詰めつつ、その実、白昼夢を見るの
である。
 願うのは生きられなかった己のエゴの解放。そうであるなら、つまり叶うことがありえなかったのなら、せめて、心の脳髄の奥の炸裂。沸騰する脳味噌。
 何か、まあるい形への憧れ。透明な、優しい、一つの宝石。傷つくことのない夢。

(拙稿「ディープスペース:フォートリエ!」より抜粋)

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← ヴォルス『無題』1942/43年 DIC川村記念美術館 グァッシュ、インク、紙 14.0×20.0cm (画像は、「「アンフォルメルの先駆者」ヴォルスの全貌を探る 国内初の展覧会 - アート・デザインニュース CINRA.NET」より)

 世界の中のあらゆるものがとんがり始めた。この私だけが私を確証してくれるはずだったのに、突然、世界という大海にやっとのことで浮いている私は、海の水と掻き混ぜられて形を失う一方の透明な海月に成り果てているのだった。
 私だけが丸くなり、やがて形を失ったのだ。
 ならば、一体、この私の存在を確かなものとしてくれるのは、何なのか。そもそも何かあるのだろうか。私は裏返しになってしまい、途端に消えてしまったのである。
 残ったのは、影でさえない。
 あるのは吹きすぎる風。湖面の細波。車に噴き上げられる塵埃。落ちることを忘れた黄砂。消しきることの出来ない半導体のバグ。磨きたてられた壁面の微細な傷。白いペンキで消し去られたトイレの落書き。どこに私がいるのだろう。それとも、そのいずれにも私がいるのだろうか。
 ヴォルスの抽象的で、それでいて生々しい線刻の乱舞。それは生への嫌悪であると同時に生への恐怖。確かにサルトルの言う通りなのかもしれない。
 けれど、嫌悪とは、依然として一種の自己主張の名残なのではなかったのか。嫌悪の裏側には、ある種の望みなき救いへの祈り、悲鳴という名の肉声の形に凝縮された祈りが隠れ潜んでいるのではないのか。
 私はヴォルスの多次元なまでに舞い狂う線描の突端へと駆け寄りたいのである。いつの日か寄り添いえた暁には、パウル・クレーとは違った意味での、心と体の慰撫という幻視がありえるかもしれないのだ。

 ヴォルス…。ざらざらな大地そのものか、それとも剥き出しのコンクリート壁面としか思えない架空の画布に、指先をペン先にして線描画を刻み込む。滲み浸み込む血と脂と肉片の形。溶けて爛れた自己。嫌悪と愛惜とが背中合わせに傷つけあう美。フォートリエではないけれど、破砕され廃墟となったビルのコンクリート片、そして土嚢の下に埋もれて歪み歪んだ肉塊。美は重力に圧し拉がれている。誰もいない森よりもっと渇いた化石の森の中のギリギリの、声にならない呻き。地上世界に居場所を見出せなかった美は宇宙へ食み出していった。美は真空の中で凍てついている。
 ヴォルスは窒息した美という悲しみを描いているのだ。

(拙稿「ヴォルス…彷徨う線刻の美」より)

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