『荻窪風土記』に東京在住時代を懐かしむ
「私事ですが私も仕事がハードで残業時間も凄まじい毎日を送っていたところ先日体を壊しました」という呟きがあった。我輩にもそんな体験が。部下のいない、名ばかりの課長にされ、責任ばかりが重く。月16000円の課長手当てで、月100時間の一人きりの残業の日々が三年続いた。帰宅は早くて10時、大概深夜。毎年5キロずつ体重が増えていった。平社員の時は現場て動きっぱなし。それがいきなり事務仕事。胃袋は現場時代のままだったんたまね。
→ 炎天下だけど、運動のためにも、自転車を駆って買い物へ。帽子着用。鍔のあるバケットハット(?)。もう、十年以上、愛用(画像は、某サイトの画像を借用)。さて、炎天下の自転車での買い物で困るのは、刺身やアイスクリーム。帰宅の十分ほどの間に、刺身は茹り、アイスクリームは融けそう。氷を持参する?
我が家の庭で、カナヘビなどはたまに見かける。先方も吾輩に気づくのか、慌てて姿を消す。暑いからか、さすがに敏捷だ。一方、ヘビはなかなか見かけない。数年前に一度だけ。この十年で一度限り。観たくはないんだけど、みないのも心配だし。そういえば、過日、ハリガネムシなんて奇妙な生き物を見かけた。そうだ、昨冬、雪搔きしていたら、ネズミを何度か見かけた。向かいの家(の庭)と我が家の庭とを往復。
昨夜半過ぎ、仕事先から帰って、自室に入ったら、妙に涼しい……。ああ、エアコン、点けっ放しで、早朝、外出したんだ。ショックだ。
← 井伏鱒二/著『荻窪風土記』(新潮文庫) 「関東大震災前には、品川の岸壁を離れる汽船の汽笛がはっきり聞えたと言われ、近年までクヌギ林や麦畑が残っていた、武蔵野は荻窪の地に移り住んで五十有余年。満州事変、二・二六事件、太平洋戦争……時世の大きなうねりの中に、荻窪の風土と市井の変遷を捉え、親交を結んだ土地っ子や隣人、文学青年窶(やつ)れした知友たちの人生を軽妙な筆で描き出す。名匠が半生の思いをこめた自伝的長編」とか。
井伏鱒二著の『荻窪風土記』を読み始めた。車中の友に。荻窪など、東京在住時代の馴染みの地名が出てくると嬉しい。
関東大震災を学生時代、体験していた。朝鮮の人々が暴動をって噂はマジな話として井伏氏も受け止めていた。根も葉もない風聞であっても、民間人は信じるしかないのか。誰が聞いてきたような嘘を最初に垂れ流すのか。よほど、朝鮮の人々を強いたげたので、復讐されると怯えているような連中だろうな。
あちこち懐かしい地名が出てきて、読む手が止まってばかり。どの地名も、彼が在住した頃は村だった。当たり前か。東京って、何処を歩いても、作家などが息づいていた。文化や伝統の厚み。ただ、多くの若い人はそんなことには無頓着。我輩にしたって、東京を離れて、東京を懐かしみ、いろいろ知って、驚く始末。京都についても同じだ。
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コメント
阿佐ヶ谷に居たので荻窪は懐かしいです。食事をしていても着物を着た作家風の人物が編集者と話している姿を頻繁に見せられたものです。あの井手達はなんとなく小林秀夫風という感じでホンマカイナという反応をしたくなりました。紛いです。
同じ紛いでも関取紛いの付き人力士の方が好感が持てました。
投稿: pfaelzerwein | 2018/07/27 22:23
pfaelzerwein さん 久しぶりです。
帰郷し富山で暮らすと、つくづく東京(や京都など)の文化や伝統、歴史の厚みを感じます。どこを歩いても、事件や行動や出会いや別れ、喧嘩、騒動の傷跡や痕跡があります。
東京在住時代、自分はただの凡人でしたけど、それでも、吉本隆明さんとは友人を介して、何度も熱く語る場面に際会しました。吉本ばななさんがお茶を出してくれたことも。
友人は何冊も本を出しています。出版する苦労と活躍を身近に。
東京に住み始めた最初の年、新宿ペペの書店で小川国男さんが本を物色している姿を見たのが今も印象的です。
高輪に住んでいた頃、すぐ近所に明治学院大学がありましたが、そこで島崎藤村が教授していたことを後で知り、勿体ないと感じました。
本書に限らず、東京の古今や思い出話を書いた本を読むのは好きです。
もっともっと東京の町を歩いておけばよかったとつくづく。
阿佐ヶ谷というと、上京してアルバイトを大久保でやっていた時、お世話になった方の住所(アパート)が阿佐ヶ谷でした。
荻窪にも会社の同僚がいたこともあって、近所をウロウロ。
埴谷雄高が健在だったころ、友人に連れられて埴谷の家へ(会えなかったけど)。
投稿: やいっち | 2018/07/30 02:24