井伏鱒二著の『荻窪風土記』に大人の風格
相模原の事件も、犯行の真相は見えない。情けないのは、犯人の愚かしい正当化の理屈を、まともに反論できていないこと。(旧)優勢保護法を正当化している限り、国には奴の理屈に反論する資格も根拠もないのかもしれない。
そうは言いながら、では自分に奴の理屈に対抗し得る論理がある訳じゃない。あるとしたら心情の論理、情緒の理屈。
相模原事件の精神鑑定中の人物の言葉を援用すると、(旧)優勢保護法では、奴でさえ立派に意思を示せる人々すら、問答無用で断種した。遥かに残酷であり、罪が深いのでは。
← クライブ・フィンレイソン 著『そして最後にヒトが残った ネアンデルタール人と私たちの50万年史』(上原直子 訳 近藤修 解説 白揚社) 「私たちと同等の能力をもった彼らネアンデルタール人が、どのように繁栄を勝ち取り、やがて絶滅していったかを、数々の新しい知見とともに解き明かすスリリングな科学読み物」とか。
クライブ・フィンレイソン 著の『そして最後にヒトが残った ネアンデルタール人と私たちの50万年史』を相変わらず少しずつ読み続けている。
(日本の)縄文土器の草創期は約16,000年前〜(ただし、縄文文化的な型式の変遷が定着するのは草創期後半から)。特徴的な縄文は蛇を意識しているとも。縄文の土偶は印象的だが、チェコのドルニ・ヴェストニッツェ遺跡からは、25,000年前頃の土偶が発見されている。(北方から?)日本へ渡った人々は、土器や土偶を作る文化を持っていたのかもしれない。その技術や文化が日本で花開いたのか。
それにしても、現生人類が生き延び世界に広がったのは、たまたまだったかもしれないとは。場合によってはネアンデルタール人こそが生き延びていてもおかしくはなかったのだ。
← 井伏鱒二/著『荻窪風土記』(新潮文庫) 「関東大震災前には、品川の岸壁を離れる汽船の汽笛がはっきり聞えたと言われ、近年までクヌギ林や麦畑が残っていた、武蔵野は荻窪の地に移り住んで五十有余年。満州事変、二・二六事件、太平洋戦争……時世の大きなうねりの中に、荻窪の風土と市井の変遷を捉え、親交を結んだ土地っ子や隣人、文学青年窶(やつ)れした知友たちの人生を軽妙な筆で描き出す。名匠が半生の思いをこめた自伝的長編」とか。
井伏鱒二著の『荻窪風土記』を車中での待機中に読了。
読み始めの頃、「あちこち懐かしい地名が出てきて、読む手が止まってばかり。どの地名も、彼が在住した頃は村だった。当たり前か。東京って、何処を歩いても、作家などが息づいていた。文化や伝統の厚み。ただ、多くの若い人はそんなことには無頓着。我輩にしたって、東京を離れて、東京を懐かしみ、いろいろ知って、驚く始末」などと書いていた。
井伏と太宰らとの関りがあれこれ書いてあって、なかなか興味深い。太宰が懸命に文学(による高名なること)に執心する一方、井伏の(よそ目には)余裕しゃくしゃくたる生き方や人間性が際立つ。
文章に余裕があり、まさに大人……大人の風がある。
井伏鱒二というと、短編小説の『山椒魚』がまず浮かぶ。確か教科書に載っていた。
『黒い雨』で感想を書いたことがある:
「田中好子さんの死と『黒い雨』と(後編)」
井伏鱒二の文学作品で扱う世界の広さを感じる。やはり、大人の文学なのである。
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