知の果てから世界の起源へ
← イェルト・ドレント著『ヴァギナの文化史』(塩崎香織訳 作品社) 「その名を呼ぶことさえ憚られてきた、女性の秘密の図説・文化史。快楽やオルガスムの神秘から、世界の不可思議な風習、芸術的解剖図、最先端医学まで」といった本。ひたすら好奇心で読む。画像も豊富なのが嬉しい。キャサリン・ブラックリッジ 著の『ヴァギナ 女性器の文化史』 (河出文庫) がやや堅苦しい記述に終始していたような印象が残るが、本書はどうだろう。
エアコンにやられたのか、数日前から喉が痛い。気管支炎風な痛み。咳が止まらなくなり、喉が痛い。今日あたり、ようやく咳の出が少なくなり、代わってクシャミや鼻水の症状が出てきた。痰も出る。
感覚的には、そろそろ治りそうかなと感じているのだが。
このところの、夕方時の集中的な庭仕事が体には過重な負担だったのか。
あるいは、エアコンを冷房じゃなく、ドライにしたまま寝入ったことがまずかった?
マーカス・デュ・ソートイ著の『知の果てへの旅』を読了した。
「素数の音楽』の著者による人間の知の限界への挑戦。宇宙に果てはあるのか。時間とは何か。意識はどこから生まれるのか。科学はすべてを知りうるのか」といった本。『素数の音楽』、『シンメトリーの地図帳』、『数字の国のミステリー』(いずれも新潮文庫)などを出してきた著者の四冊目の本で、ファンである自分は四冊共に読んできた。
→ ギュスターヴ・クールベ作『世界の起源』(1866年 油彩、カンヴァス 46 cm × 55 cm (18 in × 22 in) オルセー美術館) (画像は、「世界の起源 - Wikipedia」より)
題名を見た瞬間、我が青春の書であるセリーヌの『夜の果ての旅』を一瞬、連想した。無論、まったく個人的な連想に過ぎない。
著者は数学者。素人の目には、物理学と数学は似ているように思われがちだが、数学者の認識からは全く別物。物理学の世界は、どんな理論も、何かの新たな発見や着想から、その理論やビジョンが根底から変わる可能性が常にある。多くは、ニュートンの重力論がアインシュタインの相対性理論の一部として包摂されるのみがが、往々にして過去の理論は捨て去られ、新たな展望へと移行する。
一方、数学は、一旦、数式や証明などが確定したなら、多少大げさに言えば未来永劫変わらないし、せいぜいより広い数学の理論体系の世界の一部にはめ込まれるのみ。
一旦、証明されたなら、地球上だろうが、宇宙の果てでも通用する。
物理の理論は、場合によっては別の宇宙では定数どころか、数式の形も変わる可能性があるのとは大違い。
← マーカス・デュ・ソートイ著『知の果てへの旅』(冨永星/訳 新潮クレスト・ブックス)
そんな数学の万能性を知悉する数学者であるマーカス・デュ・ソートイが、宇宙や時間や意識、さらには数学さえも知の果てを探り展望しようとした。
さすが、欧米の学者らしく、ギリシャやエジプトの昔からの偉人らの認識にも目配りしつつ、数学や物理の探求をたどっていく。
知の限界はあるのか。あるのかもしれない。それでも、科学の世界の新しい章、頁を捲るべく探求をつづける。
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