不染鉄の存在を今になって知る
R・ダグラス・フィールズ著の「もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」」 (ブルーバックス) と 「平家物語」 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09) とを並行して読む日々。最新科学と古典。頭がまた裂き状態。これがいいんだなー。
明日(水曜日)には、ここにバタイユの本が加わる。車中での待機中に読むつもり。
← 《廃船》昭和44(1969)年頃 京都国立近代美術館蔵 (画像は、「『不染鉄(ふせんてつ)展』をレビュー 独特の視点に思わず唸る – grape [グレイプ]」より)
録画で、「日曜美術館「芸術はすべて心である~知られざる画家不染鉄の世界~」」を観て、不染鉄なる画家を初めて知った。 なかなかいい。今までなぜ気が付かずに来たんだろう。
きっと東京在住時代だったら、展覧会へ行ったはず。
「没後40年 幻の画家 不染鉄展」 暮らしを愛し、世界(コスモス)を描いた。「東京ステーションギャラリー - TOKYO STATION GALLERY -」にて 」や「幻の画家『不染鉄』展|不思議な懐かしさを湛えた独創的な日本画の世界 サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト」などで作品の幾つかを観ることができる。
何処か、与謝蕪村(の夜色楼台図(国宝)など)を想わせる世界だ。
つい先ほど、「どんな本をよんでいても、いつも夜について考えてしまうのは毎日絵本をよんでもらいながら眠りについていた頃の癖かもしれない」なんて呟きを見た。あるいは、その呟きにコメントすればいいのだろうけど、長過ぎるような気がしてやめた。
→ 秋声(しゅうせい) 大正7(1918)年頃 奈良県立美術館蔵 (画像は、「特別展 没後40年 幻の画家 不染鉄展(終了しました) -奈良県公式ホームページ」より)
今では本のない生活は考えられないけれど、二十歳過ぎまではずっと読書に後ろめたさの念を覚えていた。我が家には父の蔵書が結構あって、書棚にびっしり詰まった岩波の文庫本や文学全集などをガキの頃など、覗き見することはあった。でも、日ごろ読むのは漫画の本ばかり。そもそも、お袋は全く本を読まない。本どころか新聞や雑誌すら読む場面を思い出せない。
父が本を読む姿も、書斎で読むこともあってか、見た記憶がない。本を読まないとって思い始めたのは、自分なりの何かの目覚め。漫画もいいけど、少しずつ活字の多い本を選ぶようになり(図鑑など)、中学生になった頃、ようやく活字だけの本を読めるようになった。但し、漫画の本は三十近くまで、ずっと親しんだ。
どんくさい奴だった自分だけど、何かのきっかけもあり、このままじゃいけないと、頑張った面もある。でも、本を読むことに後ろめたさの念が付きまとった。何処かに動機の上で倫理的な側面があったから、つまり、本を読まないといけないという倫理観あるいは義務感のようなものがあったのだと感じる。
← (画像は、「「没後20年記念特別展 純情の画家 不染鉄展」 山田書店美術部オンラインストア」より)
あれこれ読み漁っていたが、本物に遭遇し、ある種の本のすばらしさに目覚めたのは、高校一年の時に読んだ、シャーロッテ・ブロンテの「ジェイン・エア」だった。それまで読んできた本とは別格の世界があった。以来、本の基準に「ジェイン・エア」が断固、自分の中に刻まれた。
高校時代は、当時刊行され始めた世界の名著(やがて日本の名著も続く)シリーズを片っ端から読み倒していった。パスカル、デカルト、ラッセル(など)、ベルクソン、キルケゴール、ハイデッガー、ショーペンハウエル、ルソー、親鸞、日蓮、大杉栄、プラトン、などなど。
同時にカフカやドストエフスキー、ポー、トルストイ、ショーロホフ、チェーホフ、ガルシン、モーパッサン、川端康成、太宰治、ハーン、島崎藤村、有島武郎、埴谷雄高などなど。でも、後ろめたさの念は消えない。自分の中に、本を読んでいちゃいけない。現実が大事。現実の生活に本物の世界がある。読書は所詮、逃避の世界。一歩、引いた世界にとどまる……。
→ 《落葉浄土》昭和49(1974)年頃 奈良県立美術館蔵 (画像は、「「【画像】謎多き日本画家「不染鉄」に迫る回顧展 7月より東京ステーションギャラリーにて開催」の画像3-7 SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス」より)
きっと本を読む親の姿を見たことがないから、あるいは、本を読む友達を持つのが遅かったからなのだろう。同時に、社会への目覚めのきっかけの一つが、子供の頃にテレビなどで報じられ始めた、イタイイタイ病だった。会社は一般住人にあんな害毒を垂れる。しかも、行政も住民も、被害者たちの現実に厳しい、冷たい。自分の中に人間不信の根っこが深く蔓延った。読書なんて、あんな現実から見たら、娯楽に過ぎない(娯楽で何が悪いって、開き直れるようになれるのに、相当な時間を要した)。
本を読み聞かせする母、寝入る中で母の声を聴く子供。そんな場面を羨ましいとは思わなかった。というより、世の中にそんな光景があるってことに気づいたのは、二十歳も過ぎてのことなのだから、お話にならない。羨ましいと思えるはずもなかったのだ。
(頂いたコメントへのレスとして)ここにメモしたのは、あくまで十代の頃の読書への思いです。吾輩の運命の本は、『ジェイン・エア』と『カラマーゾフの兄弟』、青春の本は、『罪と罰』と古本屋さんで発見遭遇したセリーヌの『夜の果てへの旅』です。
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