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2018/04/12

知らずに忠臣蔵の足跡を

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← 堀 秀道 著『鉱物 人と文化をめぐる物語』 (ちくま学芸文庫) 「鉱物の深遠にして不思議な真実が、歴史と芸術をめぐり次々と披瀝される」ってことを楽しむよ。宮沢賢治ってわけにはいかないけど、鉱物好き。時間の結晶。本書、昔、違う版で読んだかもしれない。情報が古いのは余儀ないとして、鉱物のカラー写真が少ないのが残念。

 過日より、堀 秀道 著『鉱物 人と文化をめぐる物語』を読んでいる。主に車中で。

 前回のブログ日記でも多少のことを書いたが(「亜鉛色の空にも息づく命」参照)、今日も、余談めいた話題を採り上げる。

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→ ブラジル産の白雲母 (画像は、「白雲母 - Wikipedia」より)

 本書を読んで知った奇遇。
 東京在住時代の前半は、中野区上高田そして高輪に住んでいたその前は、西落合)。高輪の住まいの近くには忠臣蔵の四十七士の菩提寺である泉岳寺があり、幾度となく訪れた。本書で知ったのは、上高田には吉良家(吉良義央ら四代)の菩提寺である、功運寺があるってこと。
 知らずに忠臣蔵事件の双方の当事者の菩提寺近くに暮らしていたんだ。知っていたなら、功運寺も訪れていたのに。

 吉良義央にルビがふってある。「よしなか」と「よしひさ」。どちらが正しいのか、あとで調べてみる。
 功運寺には、吉良邸への忠臣蔵義士の討ち入りで犠牲となった吉良家の武士28(38)名の名を刻んだ石碑があるとか。家臣は、主が名君だろうと暗君だろうと、従わざるを得ない。義士も吉良家の武士らも、同等に弔いたいし、関心を払いたい。

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← 堀 秀道【著】『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社) 「宮沢賢治は、それほどまでに石が好きになったのか?みちのくの大河、北上川の白い浅瀬には、大量の「北上川ダイヤモンド」が集積している。その結晶は、朝日や夕日をあびると、きらきらと美しく輝く。感受性に富む少年時代、彼がこの幻想的な光景に魅了されなかったはずはない…」ってことは、『鉱物 人と文化をめぐる物語』でも触れられている。

 吉良家のキラは、領地の特産である、白雲母がキラキラ光ることに由来するとか。本章の最後では、筆者は、細かい白雲母は、岩である「大石」には敵わなかったと、オチを付けている。

 ところで、この日記を書くに際し、「萬昌院功運寺 - Wikipedia」を覗いて、「創建当初は江戸城桜田門外にあったが、三田(芝三田功運町)に移り、1922年に当地に移転してきた」ことを知った。
 吾輩は、上記したように、上高田から高輪に引っ越したのだが、その高輪は三田と隣り合っていて、三田界隈もうろつきまわったのである。どこまで偶然とはいえ、奇縁が重なることか。

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→ 萬昌院功運寺 赤穂事件(忠臣蔵)で知られる吉良義央の墓がある。(画像は、「萬昌院功運寺 - Wikipedia」より)

 本書については、本筋のテーマからは食み出すが、古代史(地名や人名に)関し、興味深い情報が記されており、近いうちに記事に仕立てたい。

 本日、歯医者さんへ行き、歯の治療終了。通い始めて三回目で。終わってみれば早いが、気分的には長かった。

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