作家の直面する現実というマグマの凄み
→ 庭のあちこちに目立ってきた、謎の植物。
理由が分からないのだが、我が家の庭に咲くかなりの花は、表の通りから見えない場所に咲くのか。木蓮、ツワブキ、サツキ(ツツジ)、アジサイ、オダマキ、ナシ、馬酔木、梅、泰山木、鈴蘭。以下は、辛うじて表通りから見える花々。ドウダンツツジ、椿、山茶花、バラ、雪柳、ドクダミ、タンポポ、夾竹桃、金木犀。ま、こんなものか。
見えない場所の花。アガパンサスや紫露草、水仙など。見える場所には、(たぶん)ユリ(ジャーマンアイリスかな)。
← 莫言著『豊乳肥臀 上』 (平凡社ライブラリー)
莫言作の『豊乳肥臀 上』 を読み続けている。
上巻は、日中戦争が勃発する1937年前後から物語が始まっている。
が、上巻の半ばまでには日本軍を撃退。
戦後は、「国民党と共産党が共通の敵を失ったことで統一戦線を維持する意義も名目も消滅し、(中略)両党は早くも1945年10月から再び武力衝突へと転じ、1946年6月より全面的な内戦を開始」するに至った。
物語はここまでの展開も面白いが、ここからが佳境でもある。
「八歳まで母乳しか受けつけずに育った混血男児・上官金童とその母、そして八人の姉たち」の過酷なエピソードの数々がそれぞれにすごい。
→ 玄関でお出迎えする置き物。
しかし、本書の特徴は、エピソードの数々もだが、莫言の表現そのものにある。マルケス、ドノソ、フォークナー。
それと、莫言が本書を書いた時点では、相互共に影響関係はないだろうが、どこかしら、『精霊たちの家』で有名な、イサベル・アジェンデの作風というか雰囲気をも感じてしまう。
こうした、スーパーリアリズム的叙述は現代文学の共通項のようにも感じられる。
中国の戦後の歩みを見てみると、過酷なものだったことが分かる。そんな中国の一面をでも描くには、文学的手法も既存のものでは追い付かないのだろう。
作家の直面する現実の圧倒的な塊の凄みを感じる。
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