与謝野晶子版『源氏物語』読了
← 『カラー版日本文学全集3 源氏物語 下巻』(与謝野 晶子口語訳 池田弥三郎注釈・解説 久松潜一資料・図表 新井勝利挿画 河出書房新社 昭和四十二年刊) 手元にある(おそらくは姉の)蔵書の表紙を撮影したもの。まさに昭和四十二年刊行の本。
二週間ぶりに銭湯へ。春となり、ようやく自宅の風呂に入れるかと思ったけど、今日も寒い。浴室の寒さは耐え難い。シャワーだけってのも、辛い。ああ、銭湯、気持ちいい! 「源氏物語」読了気分でお風呂だよ。
ウイークデー、しかも昼間だからか、銭湯に来るのはお年寄りばかり。たまに若そうな人が見受けられても、入れ墨の入った柄の悪そうな奴だったり。かく言う自分は、他人や番台のおばあさんはどう見ていることやら。
与謝野晶子版の『カラー版日本文学全集3 源氏物語 下巻』を上下巻共に読了した。
上巻を読み始めたのが、先月7日だったか。
与謝野晶子版の「源氏物語」を思い切って読み始めたのは、ブログでも書いたが「手元にあるから。姉の蔵書。昭和の、日本文学全集のもの。箱入りで、挿画も楽しめる、立派な装幀の本。読むっきゃないよね」である。
ただ、同時に、「与謝野晶子訳は、和歌はそのまま載っている。誰か、訳してくれないか」とも早々と愚痴っている。
当初は、時代がまるで違うとはいえ、宮中の連中のモラルに呆れ戸惑うばかりだった。
「光源氏の身勝手さに、むかむかする。式部は意図的にこんな人物像を描いたのか。女性はこれで良しとしている? 身分が高くてハンサムなら強姦もOK? 自分の言いなりにならない女性をバカにする奴なのに」などなど。
けれど、読み友などのアドバイスもあり、平安貴族の世界にどっぷり浸かることが理解への道だと考え、光源氏にあるいは、男たちに翻弄される女性たちに感情移入しつつ読み進めていった。
なんだかんだで読了に7週間近くを要したことになる。
まあ、3月中に読了したいと思っていたので、頓挫というか挫折もしなかったし、まずは読了に関しては慶賀すべきと思っておく。
→ 宇治の平等院鳳凰堂(画像は、「宇治市 - Wikipedia」より) 源氏のモデルともいわれる源融の別荘。のちに皇室の離宮、さらに藤原道長や頼道の別荘となった(p.409)。
ただ、今回の通読が、内容の理解にどれだけつながったかは、覚束ない。三桁にも上る人物群像もさることながら、その帖に限ってさえも、口語訳(現代語訳)なのに、誰を語っているのか、誰の発言なのか、掴み切れず、何度も読み返したり、ネットであらすじを参考にしてみたり、亀の歩み、牛の歩みだった。
全くつまらないメモを書いておくと、上下巻でこれだけの大著なのに、校正ミスが少なかったことに驚く。最後の最後になって、「死んだ人と恋らぬようだったのですが」と、「変らぬ」のはずが、「恋らぬ」となっていたのが惜しかった(p.360)。
一瞬、石坂洋次郎の小説(映画化もされた)『青い山脈』の中で、ラブレターの文に「恋しい恋しい私の恋人」と書かれるべきものが、「変しい変しい私の変人」となっている有名な場面を思い出した。
余談だが、テレビでこのドラマを見た時、幸い自宅に父の蔵書の一冊としてこの小説があって、ラブシーンのくだりを目を凝らして探したものだった。
「源氏物語」の理解に資するべく、二三か月前に読了したばかりの大塚ひかり著の『女系図でみる驚きの日本史』(新潮新書)を引っ張り出して読み返している。
この本は、「胤(たね)よりも腹(はら)が大事――母親が誰かに注目した「女系図」でたどると、日本史の見え方が一変する」といった本。
「源氏物語」で、男どもが女漁りに目の色を変えるのは、女色を求めてということもあるが、女のバックにある血筋や財力を得んがための必死の権力(地位)上昇志向の表れでもあるという。だから、自らの地位などをいいことにレイプも当たり前のようにやってのける(女の周囲にいる女房らも、とんでもないと呆れつつも見て見ぬふりである)。
← 大塚ひかり/著『女系図でみる驚きの日本史』(新潮新書) 「胤(たね)よりも腹(はら)が大事――母親が誰かに注目した「女系図」でたどると、日本史の見え方が一変する。滅亡したはずの平家は、実は今上天皇にまで平清盛の血筋を繋げる一方、源頼朝の直系子孫はほどなくして途絶えているのだ」とか。
本書の解説において池田弥三郎は、平安貴族のいろ好みについて縷々解説しつつ、「源氏物語全篇は何を書いたか、と言われれば、いろごのみのもっとも理想的な具現者であった光源氏を書いたのであると言うほかはない。そして、大陸渡来の儒・仏の教えによって、古来の日本人の道徳が、反省せざるをえないところにまで追い詰められていた時点において、光源氏のいろごのみの行動が画かれた。従って、内奥において、無批判にいろごのみを認めようとする作者の心と、新しい道徳に対してひけ目を感じている作者の知識との相克が、源氏物語に複雑な陰影を与えている」と語っている。
その証左なのか、「女三の宮と、初めてことのあった直後、柏木は、すべての官職を捨てて、女三の宮と二人で逃亡しようかと思い悩む。この柏木の悩みは、すでに光源氏にはなかったもので、新しい時代が始まろうとしていることを、読者は感ぜざるを得ないであろう」と続けている。
いずれにしても、平安時代の絶頂にあって、いよいよ武士の台頭も露わになりつつあって、時代の転換期にこそ現れる、平安貴族のある種の理想期の白鳥の歌がこの源氏物語だったのでは、なんて小生ごときが語るのは少々僭越の度が過ぎるのだろう。
とりあえず、曲がりなりにも口語訳ではあるが、「源氏物語」全篇を通読した。冬の終わりから初春にかけて、貴重な読書体験をしたとだけは言えそうである。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 宇宙物理学からいつしか人生論に(2025.03.26)
- バロウ『無限の話』三昧のはずが(2025.03.25)
- 第三の鮮度保持技術「ZEROCO」に刮目(2025.03.24)
- 終日家に籠っていた(2025.03.21)
- 焚き火代わりの柴ストーブ(2025.03.20)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 宇宙物理学からいつしか人生論に(2025.03.26)
- バロウ『無限の話』三昧のはずが(2025.03.25)
- 第三の鮮度保持技術「ZEROCO」に刮目(2025.03.24)
- 終日家に籠っていた(2025.03.21)
- 焚き火代わりの柴ストーブ(2025.03.20)
「文学散歩」カテゴリの記事
- 木乃伊は見知らぬ世界を彷徨う(2025.03.19)
- シェイクスピアからナボコフへ(2025.01.24)
- 黒blackと炎flameはみな同じ語源を持つ(2024.12.17)
- 黒blackと炎flameは同じ語源を持つ(2024.12.16)
- 吾輩は庭仕事で咆哮してる(2024.07.23)
「古典」カテゴリの記事
- 『折たく柴の記』から『生物に世界はどう見えるか』へ(2025.03.11)
- 喉の痛みが癒えた…(2025.02.27)
- あなたを・もっと・知りたくて(2025.02.03)
- シェイクスピアからナボコフへ(2025.01.24)
- 初めて自分でレジ打ち(2025.01.14)
コメント