ヴォルテール パスカル「パンセ」を論評する(下)
パ) 人おのおのそのこころを吟味してみたまえ、さすれば、それが常に過去と未来とで占められているのに気が付くだろう。我々はほとんど現在を考えない。考えるにしても、それは未来に備えるため現在から光を得ようとするにすぎない。現在が我々の目標であることは決してない。過去と現在は我々の手段であり、ひとり未来のみが我々の目的である。
ヴ) 造物主が、我々を絶えず未来へと運んでくれるkの本能を与えたことに、不平をこぼすどころか、むしろ感謝すべきであろう。人間のもつもっとも貴重な宝は、我々の心痛をやわらげ、現在の快楽の享有のうちに未来の快楽を我々に描いてみせるあの希望である。もし人々があいにくと現在にしか没頭しないものならば、種は蒔かず、家は建てず、苗は植えず、何の備えもしなかったであろうし、この偽の享楽のただなかで万事に不自由したことであろう。パスカル氏ほどの精神が、こんなにも間違った陳腐な考えに陥るということがあり得ただろうか。人間は誰しも身を養ったり、子供を拵えたり、快い楽の音に聴き取れたり、考え感じる能力を行使したりして現在を享受するように、またこれらの状態の外に出ては、いや、時にはこれらの状態のさなかにあっても明日に思いを致すように、自然がそう定めておいたのであって、さもなくば人間は明日を待たずに窮境に陥って滅びてしまうだろう。
→ 快晴無風。ナシの花かな。一昨日、野鳥たちがナシかアンズの枝(蕾?)を啄んでいた。芽か蕾がたくさん、鳥たちに啄まれた。もっと開花していたはずなのに。
パ) されば、人間になんら外からのアンニュイの原因がなくても、観のさだめそのものからしてアンニュイを感ずるほど不幸であることを認めざるを得ない。
ヴ) それどころか、造物主はアンニュイを無為に結びつけ、それによって我々はどうしても隣人と我々自身とのご用に立たずにはおかぬようにしむけているほど、人間はこの点幸福であり、我々は造物主のおかげを蒙っているのだ。
パ) 気晴らしによって打ち興じることのできるのは、幸福であるとはいえない。なぜなら、それはよそから、外部から来るものだから。かくて、それは依存的であり、したがって無数の思わぬ事故によってかきみだされがちであり、否応なしに人を憂目に遭わせる。
ヴ) 快楽を持てる者は現に幸福なのであり、その快楽は外部から以外に来ようがない。我々は外部の物による以外に感覚も観念も持ちようがない。これはよその滋養物を採り入れて我々の滋養物に変える以外に我々の身の養いようがないのと同然である。
← D.H.ロレンス 著『息子と恋人』 (小野寺 健/武藤 浩史 翻訳 ちくま文庫) 「主人公ポール・モレルの人生が家族・恋愛、性・死などを中心に生き生きと描かれた20世紀イギリス文学の傑作」。
パ) 絵というものは何と空しいものだろう。実物はいっこうさわがれぬのに、それが絵になると瓜二つだといって大さわぎされるのである。
ヴ) 肖像画の取得は、たしかに人間の性格の良さにあるのではなく、似ているところにある。カエサルに感歎するのと、その彫像や画布上の像に感歎するのとでは、彼此その意味が異なる。
以上、パスカルの「パンセ」の断章の幾つかについて、ヴォルテールが皮肉っぽく、あるいは大人風な論評を加えているのが分かるだろう。
他にも転記して示したい数々があるが、比較的短いものを幾つか示してみた。これらだけでも、傾向は分かるだろう。
← ヴォルテール 著『哲学書簡』(林 達夫 訳 岩波文庫) 「亡命先のイギリスから故国の友人にあてた書簡形式のこの作品は,イギリスにおける信教の自由・民主的な議会政治への讃美に始まり,哲学,科学,文芸等の考察を通してフランス旧体制の愚昧と迷妄を痛烈に批判.啓蒙運動の引き金となった思想文学的記念碑」作品だとか。
ヴォルテールによるパスカルの「パンセ」への総評は以下に示されている:
思うに、パスカル氏がこれらのパンセを書いた真意は、一般的に人間の嫌悪すべきすがたを暴露することにあった。氏はむきになって、我々を一人なく悪者に不幸に描いて見せる。かつてジェズイットの弾劾を書いたのと同じ筆鋒で、人間性の弾劾を書く。一部の人間にしか属さないものを、我々の人性の本質に帰する。人類に対して滔々と罵詈を浴びせかける。私はこの崇高な人間嫌いに抗して、あえて人間性の肩を持つものだ。我々は氏のいうほどそんなに悪者でも不幸でもないとあえて断言する。(p.207-8以下、略)
小生はヴォルテールの評に全面的に賛成というのではなく、ある意味穏当な批判だなと思うだけである。
そもそも、パスカルの「パンセ」の文言は、パスカル本人の姿勢を示したものに他ならないと思うのだし。
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