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2018/03/27

ヴォルテール パスカル「パンセ」を論評する(上)

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← 27日(火)の夕方、半年ぶりにヤモリと遭遇。窓の外なので、観たとは言えないかな。春になって活動開始だね。フラッシュにびっくりした?

 昨日来た電気代の請求書、先月より六千円、下がった。来月はさらに六千円以上、下がるはず。次の冬に向けて、対策を練らないと。
 冬季は(夏場は別にして)春や秋より15000円以上、電気代が高い。ってことは、冬の三か月で45000円以上(たぶん、5万円)。十年で元を取るとしたら、数十万の投資をしても、十分値打ちがあるということか。

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→ 裏庭の梅の木、満開続いてる。吾輩以外、誰一人、観る人がいないのが淋しいな。

 歯医者さんへ。待合時間も含め、1時間半以上。今日で治療が終わると思っていたのに、まだ続く。春なのに。
 予約した時間に間に合ったのだが、30分以上、待たされた。こんなこともあろうかと、本(ヴォルテールの「哲学書簡」)を持参。が、慌てて家を出たもので、眼鏡を忘れた。待合所の窓際に移動し、陽光で懸命に活字を追う。画数の多い漢字(熟語)は、雰囲気や前後の脈絡で推測。一頁読むのに15分。

(頂いたコメントへのレス)前回は飛び込みで(予約なしで)行ったんですが、待たされるだろうと、ちゃんと本と眼鏡を持参。ところが、待つこと十分あまり。待合室にある週刊誌を眺めている間に吾輩の順番に。今回は、予約して行ったのに、待たされること30分以上。用心深い(はずの)吾輩、どんな場合も本を忘れない。が、眼鏡がない。目がない。「哲学書簡」の残り20頁ほどを読み切れるはずだったのに、2頁余りでちょんでしたよ。歯のほうは、は~~~です。

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← ボクの花咲く。じゃない、木瓜の花、咲き始める。周辺には、蕾がたくさん。これからもっともっと咲くよ。

 D.H.ロレンス著の『息子と恋人』 を読み始めたけど、三日目になっても、まだ、80頁も読んでない。ロレンスの自伝的な作品なのか。粗暴な父。夫婦喧嘩が絶えない貧困家庭。母は子を味方にする。父は母子には飲ん兵衛なだけの(不器用で教養のない)敵。母子の濃密な関係。そこからどんな息子が育ってくるのか。
 さすがにロレンスは読ませる。外仕事などが一段落したら、しっかり読めるかな。

 ロレンスの『息子と恋人』については、後日、感想を書きたい。傑作・名作の予感が濃厚。読み進めるのが楽しみだ。

 ヴォルテール著の『哲学書簡』を27日、読了した。クエーカー教(徒)の話、ニュートンの万有引力理論の齎した衝撃の大きさ、痘瘡(種痘)の話など、興味深い話題が満載。
 今日は、書評や感想ということではなく、彼による、パスカルの「パンセ」評を少々、メモっておく。

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→ 馬酔木、満開。一か月以上は、楽しませてくれるはず。

 パスカルの「パンセ」は、多少なりとも素養があれば、読んだことがなくとも、書名くらいは耳にしたことがあるだろう。
 小生は、過日、何十年ぶりに読み返した。若いころ、読んでその内容の苛烈さに圧倒された思い出が今も鮮烈に残る。だからこそ、再読したいと思いつつ、気が重くて手が出せなかった。
 信心や宗教的求道の苛烈さに、とてもじゃないが耐えられないと感じてしまった。鋭利過ぎる宗教的問いかけの刃が、これでもかとその匕首を突き立ててくる。寸刻たりとも心の平安を許さない厳しさ。
 反論など許さない求道心をいかんせん。

 ところが、ヴォルテールは、彼の『哲学書簡』の中で、パスカル(の「パンセ」)をやんわり、あるいは皮肉っぽく窘めるように評していて、今更ながらに、彼の論評は意表を突かれるようだった(悲しいかな、そんな内容を吾輩はすっかり忘れていた。昔、読んだとき、どう感じたのか。あるいはそんな常識的な、並大抵の論難など、当時の若い吾輩は拒否反応を示したのか)。

 以下、本文より、パスカルの「パンセ」からのヴォルテールによる抜粋と、ヴォルテールによる論評をサンプル的に示してみる。もっと掲げるべき箇所はあるのだが、抜粋するのに長すぎるので止めた(それぞれ、パ)やヴ)とする)。

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