屋根の雪下ろしのアイデア発見
ボイラーが目詰まりしているみたい。凍結か。風呂はともかく、シャワーだけでも浴びたい。余儀なく、台所の流しで、瞬間湯沸かし器のお湯で髪を洗った。周辺が水浸しになったけど、爽快。
← 一休 宗純【著】『狂雲集』(柳田 聖山【訳】 中公クラシックス)
ネットで、雪下ろしのユニークなアイデアを発見した:
「(5) KLP - Snø, snø og atter snø! Se hvordan Ragnar Sageie fjerner...」
特に雪国の方には、見てもらいたい。屋根の雪下ろしのアイデア!
このまま即、真似するかどうかは別にして、業者が工夫して実用化に持ち込むことはあり得るのではなかろうか。
一休 宗純著の『狂雲集』について、先日、「釈迦も達磨も ひょいひょいと生む」なんて記事を書いた。
今朝は、なんとか、今日中に読了したい。あ、本文は読み終えても、注釈が150頁もある。どうするか。案外と注釈も面白いんだが、とも。
本夕になって、本文は読了し、注釈に突入。素養のない人間(自分のことである)には、敷居の高い本。詳細丁寧な注釈をいちいち参照していたら、とてもじゃないが、先へ進めないと、本文のみまず読み切ることに専念してきた。
それでも、数か月を要した(休み休み…長い中断をはさみつつ)。
そうはいっても、座右に置いてから、あまりに長すぎる。この一週間、集中的に読んだ。読んだと言える自信はなくて、字面を眺めただけ。それでも、一休禅師の痛棒を受ける思いでいただけでも、本書に対面し続けた意義はあったと思いたい。
楽しみにしていた、盲目の女性である森侍者(森女)への思いを赤裸々に綴る漢詩が最後の最後にやってきた。「当時の仏教の権威や形骸化を批判・風刺し、仏教の伝統化や風化に警鐘を鳴らしていた」一休さんの生身の声を聴いたような気がする。
150頁に渡る訳注については、後日、ざっと眺めるだけにとどめる。柳田聖山氏には申し訳ないけど、落第生と嗤ってほしい。
← 『カラー版日本文学全集2 源氏物語 上巻』(紫式部作 与謝野 晶子 訳 河出書房)
与謝野晶子訳源氏物語(『カラー版日本文学全集2 源氏物語 上巻』を本日早朝、読了した。3週間余りで。
読み始めた頃、「現代語訳は、いろいろあるね。それぞれ特色はあるとか。では、なぜ、与謝野晶子訳。それはね、手元にあるから。姉の蔵書。昭和の、日本文学全集のもの。箱入りで、挿画も楽しめる、立派な装幀の本。読むっきゃないよね」と呟いている。
現代の常識人の感覚で読んで、源氏らの言動に辟易もし、とんでもない奴だと憤ったりもしたが、読み友のアドバイスもあり、平安時代の物語なのであり、その世界に没入することが大事と、自分の窮屈な倫理道徳観ではなく、当時の宮中のど真ん中で生きる人たちのドラマであり、心の絵巻物として読むようにしたら、やはり、さすがの作品だと実感するようになった。
感想めいたことなど、吾輩ごときには書けない。まずは、下巻へ突入である。
というわけで、源氏物語(上巻)と狂雲集とを同時並行して読む結果になったが、格別な意図はない。
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