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2018/03/20

<夜>を喪失して数十年

 先週の屋根瓦工事に続き、車道沿いの出窓の庇修理、終わった。庇が腐り、庇の屋根(トタンカバー)が敗れ去っていた。ガリバリウムで補修。これで雨漏りの心配はなくなった……はず。

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← 『風土記 上 現代語訳付き』(監修・訳注 中村 啓信  角川ソフィア文庫) 「8世紀、元明天皇の詔により諸国の産物、伝説、地名の由来などを撰進させた地誌。 (中略) 漢文体の本文も掲載する。上巻には、常陸国・出雲国、播磨国風土記を収録」。

風土記 上 現代語訳付き』を与謝野版「源氏物語」と同様、これまた牛歩で読み進めている。「万葉集」や「古事記」などは読んできたが、「風土記」には手が出なかった。
「風土記」には、ヤマトタケルを天皇として扱うとか、他の文献には見受けられない神々が登場し、主に地名伝説などの場面で活躍しているのが興味深い。

 その地名だが、ほとんどが(吾輩の印象では)駄洒落とは言わないが、かなり苦しい地名の由来の説明になっている。地名を漢字二文字で表記しようという営為、そして大和政権(の淵源となっている神々)がその土地の名前の由来に関わっていると、強引なまでに主張する。大和政権以前から各地には古来よりの呼称があったのだろう。

 当然ながら、その土地の人たちには古くからの名前の由来伝説が伝わっていたはず。だが、ヤマト政権としては彼ら政権を由来させた神々が命名したと断固、主張したいのだろう。そうして過去からの言い伝えなどを覆い隠していく。そんな歴史のドラマの場面を垣間見るようで面白い。

 「古事記」や「万葉集」、「風土記」などを読むのは、歴史などへの興味もあるが、それ以上に、日本語の源泉源流があると感じるから。

 2年近く通っている内科医院へ。血糖値の数値、悪い。この数値が来月も続くようだと、新たな薬を処方しないといけない。食事と運動が大切と言われた。わかっちゃいるんだけど。
 吾輩、体を動かすことは嫌いじゃない。サラリーマン時代も、スキーやゴルフ、テニス、卓球、マラソンなどと楽しんだ。プール通いしたことも。

 近年だって、マラソンの練習などの挙句、ひざを痛めたので、プール通いを再開したことも。
 しかし、今は、旧家ほどではないが、築65年ほどの一戸建てに住み、家のメンテナンスや畑や庭仕事の必要がある。無論、仕事も続けている。

 食事もそんなに腹いっぱい食べるわけじゃない。ただ、スーパーでの買い置きを食べることが多く、新鮮な食材とは縁遠い。脂っこいものを摂り勝ちだし、野菜嫌いってのも、脂肪太りに資するようだ。
 だが、肥満の一番の原因は、何より十歳の頃からの睡眠障害。吾輩の辞書に安眠はないのだ。十歳の手術以来、熟睡とは無縁。夜は横たわっているだけ。日中、起きていながら、ぼんやりしつつ、あるいはうつらうつらしながら眠気を誤魔化している。
 そんな状態で体調を維持などできるはずはないのだ。

 思い返せば、自分は勉強ができなかった。それは頭が悪いからってこともあるが、そもそも授業中にしろ、受験などのため勉強していても、頭は常にぼんやりしている。体は常時、熱っぽい。
 つまり、体調を普通にするなら、睡眠障害を根治させないといけない。何度となく手術はしたが、根治にはあと二三回の手術が必要だろう。

 話がやや逸れた。運動不足なのは、やはり、言い訳になるが、時間が少しでもあれば読書に割きたいからだ。あと、これも睡眠障害と関わるが、常に頭がぼんやりしているので、読書に集中できないことが大きい(学生時代の勉強に集中できなかったことと事情は同じである)。
 夜(睡眠)のない人間の体たらくは今も続いているわけである。こんな事情など他人には分かるまい。

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← E.クレッチュマー 著『天才の心理学』(内村 祐之 訳 岩波文庫) 「この精神医学的天才論の古典は,「人類中の稀有にして極端な変種」である天才が,いかなる生物学的な条件のもとに出現するか,天才の創造活動が精神障害とどうかかわるか,など興味つきぬ課題を多くの病跡学的データにもとづいて究明する」とか。

 E.クレッチュマー 著の『天才の心理学』を読了した。ほとんど車中での待機中に読んだもの。35年ぶりの再読である。この手の本、テーマが天才論というのは、若いころに関心を抱きがちであって、吾輩も例外ではなかった。

 車中で読むにはやや理屈っぽい内容だったが、テーマが興味深くて、案外とすらすら読み進めることができた。
 内容に古さも感じたし、言うまでもないことだが、精神医学であろうと、天才の創造性にどこまで迫れるかは最初から疑念も抱かざるを得ない。

 小生が興味深いというのは、いろんな天才たちの意外な素顔を知れたから、という点が大きい気がする。
 かの鉄血宰相のビスマルクが案外と繊細な神経の持ち主だったとか、ルソー論、ゲーテ論、ヘルダーリン論、ロベスピエール論と、ある種の人物評伝として読めたという意味である。

 若いころ、まだフリーターだった時代、倉庫の片隅で(仕事が暇だった折)ルソーの「エミール」を読み浸ったこと、高校生の頃、同じくルソーの「孤独な散歩者の夢想」に親しんだことが思い返された。
 ルソーは、人間性の複雑さという点で、近代人の特徴を示していた。美や善や子供への同情の念を持ちつつも、同時にその当人が非難を免れない蛮行を犯しているという矛盾に苦しむ、そんな人間像。

 今となっては天才論として通用しない点も見受けられるだろうが、自分には(上記したように)折々の具体例で天才たちの人物評伝を読めたというメリットはあった。

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