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2018/02/12

そうだ、ガスがある!

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← パスカル 著『パンセ』(前田陽一/由木康 訳 中公文庫)

 パスカル著の『パンセ』を久しぶりに読んだ。高校時代だったか、世界の名著シリーズの各巻が刊行される都度、買って読んだものだった。

 とんでもない科学の天才。が、彼には科学や思想より宗教にのめりこむ。病と闘いながら宗教や信仰を極める。痛みを忘れるため数学に集中したりしつつ、神への信仰の絶対性を説く。そこまで説くというのは、神を絶対的に信じているのだろうし、神の絶対性が揺らぐ事態への危機感があったのだろう。その背景には、神なき世への不安があるのだろう。際限のない宇宙と、どこまでも終わりのない微細な世界。人間は常にその中間で揺らぎ続ける。悪と善、神と不信、美と醜。そう、何処まで行っても人間は中間者なのだ。

 パスカルに限らず多くの西欧の哲学者に飽き足りなく感じるのは、人間への関心しか見いだせないってこと。なぜ、この世の中心は人間でなければならないのか。その根拠は聖書? そもそも神が存在するとして、何故、神は人間を中心に見るというのか。生きとし生けるもの全てが、それどころか、神が創造したこの世の一切を神は照覧しているのではないか。虫けらと人間は、神から見たら同等じゃないのだろうか。

(拙稿「祈りの果てにあるものは…」など参照のこと。)

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← 『カラー版日本文学全集2 源氏物語 上巻』(与謝野 晶子 訳 河出書房)

 末摘花を読んだ。筋は読書メーターを利用する方なら吾輩より詳しいだろう。
末摘花 (源氏物語) - Wikipedia」を利用する。「乳母子の大輔の命婦から亡き常陸宮の姫君の噂を聞いた源氏は、「零落した悲劇の姫君」という幻想に憧れと好奇心を抱いて求愛した」。「雪の朝、姫君の顔をのぞき見た光源氏はその醜さに仰天する」。「世間知らずな言動の数々に辟易しつつも、源氏は彼女の困窮ぶりに同情し、また素直な心根に見捨てられないものを感じて、彼女の暮らし向きへ援助を行うようになった」。

「ある日、源氏は若紫に絵画を教えていたが、思わず姫君の顔を描き、若紫から「その女の方は、どなた?」と問われ「末摘花の君」と言い、鼻が赤いのかと問われ、悪戯で自身の鼻に赤い絵の具を塗った」。なんだこりゃ。あんまりじゃないか。この段は、若紫(母らを亡くして悲しむ十歳の少女をかどわかす話)と同時並行しての話。可愛い少女を愛玩する一方、生活に困窮する醜い女性にも関わる。断言していいのは、源氏は、恋の相手としては決して末摘花の女性を選ばないってこと。あくまで多彩な女性関係の一人として彼女を戯れに託っているってこと。

(いただいたコメントへのレス)小生の読み方は、古典の素養のない、平安の宮中の常識を知らない者の、同時に女性にもてない男の凡俗な読み方にすぎません。今時の常識など通じないことは当然なのでしょう。折々、そんな小生の的外れな感想を書きますが、正直で率直な感想です。よく読まれている方、素養のある方(さらには女性の立場からの)コメントを頂けることは嬉しい限りです。ホント、女性は光源氏をどう見ているのか、これまでの段をどう理解されているのか、気になるんです。

(いただいたコメントへのレス)光り輝く存在として光源氏を描いていますが、どうみても、(女性など周囲の人物たちには惹かれ靡かざるを得ないとしても)読者に好かれる存在としては描いていない気がします(そもそも、どういった読者を想定して書いているのか)。式部の子の親らしい道長への(愛憎半ばする)怨念が創作の上でのエネルギー源になっている? 小生はまだ、紅葉賀を読んでいるところ。好ましい女性が誰かなどと言えた段階ではありません。敢えて言えば、今のところ、同情もあってか、源氏の夫人への思い入れが強いようです。

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→ 側溝に被せるグレーチング。除雪の際、雪の捨て場に困るが、我が家の前の側溝に敷いたグレーチングを今の時期だけ外せばいいんだと気づいた。気づくのが遅いって。でも、まだ雪は降りそうだし、外して効果を試してみる。……試してみての感想。グレーチングを外したのは3枚。それだけだと、ボリューム的には大したことはない。肝心なのは、側溝に水が流れているかどうか。流れていたら、側溝に運んできた雪がどんどん融けてくれて、除雪がはかどるはず……だが、なぜか側溝の水はしばしば止まる。 (画像は、「グレーチング - Wikipedia」より)

 今日、二回目の除雪。グレーチングを外して、雪の捨て場を少し増やして一時間半の作業。終わったわけじゃない。雪は降りやまないので、きりがないのだ。汗を掻いてきたための中断である。部屋に戻って風呂は無理でもシャワーを浴びたい。寒い風呂場へ。ボイラーを作動。さて、お湯は出るか…………やはり、出ない。ボイラーは外付けなので、パイプが凍結している。案の定だ。ああ、昨夜未明に仕事から帰宅して、頭は汚れた雪や雨を被ってかゆい。シャワーーーーーー!
 ふと、そうだ、ガスがあるじゃないかと思いついた。台所の瞬間湯沸かし器を使えばいい。流しで洗面器にお湯を貯め、頭をバシャバシャと洗う。そこら中にお湯(水)が零れるが、構うもんか。脱いだシャツで、汗の滲む体を拭う。手拭いで頭髪の水気を取る。やはり、頭を洗うと気持ちがいい! ああ、でも、雪が降り頻る。どんどん、積もっている。ついさっきまで除雪した庭が雪に埋まっていく。三回目の除雪作業も、時間を置かずに迫られるだろう。

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← 一休宗純 著『狂雲集』(柳田聖山 訳 柳田聖山 解説 中公クラシックス) 「『狂雲集』は漢詩の形をとった禅語録である。自ら狂雲子を名のり、はぐれ雲のように生きた一休は、新しい時代の幕開きをまえに、混迷と倦怠に覆われた室町の世相を激しく痛罵した」とか。

 一休宗純 著『狂雲集』を牛歩というより、亀の歩みよりものろく読み進めてきた……のだが。
 自宅では、なかなか読めないので、今度からは車中での待機中に読む。いや、眺める。読むなんて、生意気過ぎる。数ヶ月で150頁、つまり半分も行かない。ま、字面を眺めるだけでも、御利益があるだろう。それにしても、なんという教養人なんだ。それとも、当時としては、当たり前の素養なのか。

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