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2018/01/28

『顔面考』…まともであることが幸せか

 久しぶりに、最高気温、零下じゃなかった。1度。これじゃ、雪、融けない。今夜も、帰宅したら、除雪、決まりだな。
 明日(28日)は雨かもしれない。だったら、除雪はしなくても……と、思い掛けて、今夜半過ぎの帰宅の時に、車が積雪で庭に入らないとしたら、明日は雨でも、除雪必至かも。

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← 春日武彦 著『顔面考』(河出文庫)

……やはり、夜中の1時20分頃に帰宅し、一時間半、雪搔き・樹木や屋根や庇からの雪下ろし。まあ、やり切ったという満足感と、日中、晴れたら、雪、溶けるんだろうなーという徒労感と。
……案の定というべきか、期待した通りではあるのだが、日中は気温が4度か5度ほどに。一気にというわけにはいかないが、それでも、茶の間の窓から外を窺うと、次第に分厚いふかふかの真綿のような雪原が、古びた布団綿へと薄くなっていくのを眺めることができた。

 我が家は、なぜか陽光に背を向けるように日中は日がほとんど当たらない。庭に日が当たるはずの場所には蔵が建っていて、遮っている。なので、雪を少しでも日の当たる場所へ移動させないといけない。
 そうしないと、次の寒波で雪が積み重なってしまう。

 一昨年、昨年と異常に雪が少なかった。お蔭で除雪の労苦は最小で済んだが、今年は雪国富山らしい雪搔きの日々。運動にはなっているが、本を読めないのが辛い。読もうと思っても、二頁も読まないうちに目が閉じていく。

 春日武彦 著の『顔面考』を読了。
 感想にもならない雑感は、昨日のブログ記事にて書いている:「『顔面考』の周辺

 内容案内によると、「観相学、替え玉妄想、ドッペルゲンガー、生来性犯罪者、醜形恐怖、人面犬・人面疽、整形手術、マンガやミステリに描かれた顔」など、話題が豊富。「博覧強記の精神科医が、比類なき視座から綴ってみせた、前人未到の〈顔〉論にして、世紀の奇書」だとか。
 世紀の奇書というのは、やや大げさという気がする。議論が深まらず、話題が多岐に渡り、話が総花的な印象が強い。
 感想を改めて書く気になれない。

Iregular

← マルタン・モネスティエ【著】『図説 奇形全書』(吉田 春美/花輪 照子【訳】 原書房) 両性具有、単体奇形、多重体奇形、機械人間……。コミカルで恐ろしい、だけど魅力的な感動あふれる創造の神秘、「奇形」の世界を、希少図版200点余とともに辿り、自然が生み出した「生」の真実に迫る。1999年刊の普及版。

 ここでは、以下、拙稿:「まともであることが幸せ…『奇形全書』」よりの抜粋を示すにとどめておく:

(前略)「かつては宮廷や見世物小屋、映画館で会う事が出来た不思議な人達は、ユニコーンのようにどこかへ行ってしまった。「健常者」の目にふれないところへ…。私達は「普通じゃない外見の人」に出くわすと「見えない」ふりをする。「奇形?は?何ですかソレ?」という顔で。だのに眺めることが許された奇形に対しては恐ろしく貪欲だ。「こんなですけど、人生ってすばらしい!」という建前さえあれば「見てもOK」なのだ。この本は歴史上、フリークスが、どのように扱われてきたか、おおざっぱな「奇形の分類」ごとにまとめている本だが、「いろんな奇形が見たい!」という需要に支えられている部分もあるのだろう。しかしなにより興味深いのは、生まれ持った身体に由来する不思議な人生。奇形の種類以上に様々な人生は、運命というものの不思議を感じる。ちょっと食い足りない内容だが、このテーマへの入門書としては充分過ぎるだろう」という、「えめたん」さんの評が、バランスが取れていると感じる。

 現実には、今は中絶などの形で闇から闇へ流されていく(カトリックの国でない限りは)。
 著者は、奇形として生まれたものであっても、結婚したり、それなりの生きる意味を見出して云々と述べているが、決して偏見を広めたり、貶めようという動機で書いたものではないという、アリバイ証明のように聞こえる。

 そうはいっても、生まれてしまった奇形の人が社会の中で生きていくすべは、現代では皆無に近くなった。宮廷人の持つ独特な好奇心や見世物小屋は追放され、部屋の中で閉じこもって命の風化するのをただ待つだけ。

 それどころか、日本などは出生前診断で赤ちゃんの染色体異常を発見するなどして、そもそも日の目を見る可能性さえ奪われつつある。
 生まれてしまうことは、受難そのもの…なのか。間違いなのか。生まれてこなければよかったのか。

  一方、著者は、生まれて以後の事故や病気、あるいは意図的な奇形(纏足など)を除き、生まれながらの奇形は、ある意味、進化の戯れであり、今もなお、人間(に限らないだろう)が、進化の途上にあるのであり、常に数パーセントの確率で、いわゆる異常なる赤ちゃんが生まれているのであり、生命が進化を遂げる以上は、防げない染色体異常の結果に過ぎないのだと、本書の末尾でほとんどつけたりのように語っている。


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← レスリー・フィードラー (著)『フリークス―秘められた自己の神話とイメージ』(伊藤 俊治/大場 正明 /旦 敬介 (翻訳)  青土社) おぞましいと排除され、珍奇として見世物に供され、逆に聖なる存在と崇められもしたフリークス。文学・美術・人文科学の諸領域におけるフリークスの顕現と隠蔽の構造を詳細に解き明かす。90年刊に続く新版。
 

 だから、生まれる子供のうちの幾ばくかには、ありとあらゆる異常(心身のいずれかか心身共に)を抱えて生まれ来たし、生まれてくるし、生まれていくのだと強調する。
 ただ、現代は、生前診断が可能なので、現代の価値観や倫理観、常識の範疇から少しでも食み出す<特徴>を持った子供は、可能性の目を目のままに葬られる運命が強まっている。
 まともであることが幸せ。まともでないことは不幸せ。どうあることがまともなのかは、問われることなく。

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