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2018/01/30

呪縛の構図・ハーフブリード

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← 今福 龍太 著『ハーフ・ブリード』(河出書房新社)

 我が家は、なぜか陽光に背を向けるように日中は日がほとんど当たらない。庭に日が当たるはずの場所には蔵が建っていて、遮っている。なので、雪を少しでも日の当たる場所へ移動させない。  そうしないと、次の寒波で雪が積み重なってしまう。

 一昨年、昨年と異常に雪が少なかった。お蔭で除雪の労苦は最小で済んだが、今年は雪国富山らしい雪搔きの日々。運動にはなっているが、本を読めないのが辛い。読もうと思っても、二頁も読まないうちに目が閉じていく。

 今日(月曜日)は、時折、霙の降る曇天。氷点下じゃないので、外に出ると雪どけの音が聞こえる。
 嬉しい音。だから、除雪は必要ない? とんでもない! 夕べから屋根からの落雪のドドーという音がしばしば。というわけで、今、山盛りになっている落雪を除雪。一時間ほどの作業で汗が滲んできたので、作業はやめた。あとは、陽光に任せたぞ!
……陽光はかなり頑張ってくれた。でも、今日からもう、雪が降りだしている。気温さえ、例年並みだったらなー。

 今福龍太著の『ハーフ・ブリード』を数日前より読み始めている。
 出版社による内容案内によると、「混血児=ハーフ・ブリードこそ世界の根源であり可能性なのだ。思想と文学の先導者がその半生と果てなき旅のすべてを賭けて描く世界の再生のための壮烈にして壮麗な混血をめぐる物語」だとか。
書評・最新書評 ハーフ・ブリード [著]今福龍太 - 椹木野衣(さわらぎのい)(美術批評家・多摩美術大学教授) BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト」がなかなか読ませる。

 なんて、今、とてもじゃないが感想は書けない。全く未知の、初の文体であり表現の試みだと感じる。戸惑うばかり。でも、読むに値すると確信している。
 トランプ大統領によって壁を築かれようと画策されている、まさにメキシコ(の詩人や神話など)の物語。国境、人種の境、レイプでの生まれながらの混血、国家の成り立ちそのものがスペイン人による陵虐に関わる。血はまだ乾いていないし、今も流され続ける。そしてこれからも、なのか。
 今福龍太はただただ模索し続けている。

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← R・ターガート・マーフィー著『日本‐呪縛の構図 下』 (仲 達志訳  ハヤカワ文庫NF) 「応仁の乱から東芝の失敗まで、この一冊で読み解ける! 筑波大学教授を務めた在日40年のアメリカ人エコノミストが放つ、日本論の集大成。  津田大介氏(ジャーナリスト、早稲田大学教授)との対談を特別収録」とか。

 R・ターガート・マーフィー著の『日本‐呪縛の構図 下』 を日に数十頁ほどずつ読み続けている。
 なかなか指摘が鋭い。日本の学者じゃ、忖度して書かないだろうことも書いてあって、興味深い。一気に読み通したくない。

 今日は、下手な感想ではなく、本書の一部を抜粋して示す:
「残念ながら、ご都合主義の指導者階級が自ら国民に語ってきた言葉に縛られ、国家の将来を危うくしているのは、日本だけに限られた現象とは決して言えない」と、イギリスやアメリカの事例を示したうえで、以下の指摘に続く:
(前略)日本だけに特有の現象にも注目しておきたい。それは、日本の指導者階級がこれほど無能で危険な存在になってしまった背景にある彼ら特有の行動パターンである。前章でも見てきたように、日本企業には埋没費用をなかなか損切りできないという体質がある。だが、これを単なるビジネスや資金の問題として片づけることはできない。それというのも、日本の組織にとって戦略的誤りを正面から認めるのは恐ろしく厄介な行為だからである。「個人」のレベルであれば、組織は責任を取らせたり、人柱にしたりすることさえいとわない。日本の組織の名ばかりの指導者たちが何らかの理由で不祥事に巻き込まれた結果、形式的な謝罪や辞任の意を表明する光景を世界は嫌というほど見せられてきた。多くの場合、こうしたお偉方が平身低頭するのは見せ掛けにすぎず、彼らは舞台裏で見返りを得たり、ほとぼりが冷めた途端に権力の座に返り咲いたりするのである。だが、その一方で、日本には賞賛すべき態度で自らの過ちの責任を取る(時には極端なやり方で)人々も無数に存在する。アメリカには間違いを決して認めようとせず、弁護士の背後に隠れて自ら起こした混乱の責任を認めない軽蔑すべき輩があまりにも多いが、日本ではこうしたことは一切考えられない。だが、「組織」のレベルになると話は別だ。誤りを認めることができず、強制されない限り大幅な方針転換に踏み切れ体質が表面化したのは、前章で取り上げた日本企業の事例だけにとどまらない。それは第二次世界大戦における大日本帝国陸軍の行動から、一度決まった公共事業の中止が事実上不可能なことに至るまであらゆる場面で目にすることができる。公共事業の場合、膨大な予算超過によって他の分野が巻き添えを食い、甚大な損失が発生しかねないという圧倒的な証拠があるにもかかわらず、止めを刺された後でもゾンビか吸血鬼のように何度も息を吹き返すのである。なぜなら、結局のところ、それらの計画を承認したのは強大な権限を持つ省庁かその保護下にある企業にほかならず、計画を完全に中止に追い込むことはその省庁が誤りを犯したことを暗に認めることになるからだ。
                 (中略)
 一九四六年に天皇が公式に「人間宣言」を行い(中略)それまで日本の権力構造の中核をなす制度がまとっていた神聖なオーラは損なわれたが、完全に消滅したわけではなかった。日本が約40年前に原子力の平和利用という野心的な計画に着手することを決定できたのも、このオーラの賜物だった。原子力発電所を運営するのは中央集権化された組織でなければ不可能で、そうした組織は必然的に技術的なノウハウや、財政的・政治的な権力を蓄積していくことになる。そのため、この種の権力の蓄積にこそ生きがいを見出している日本の官僚たちにとって、原子力利用計画はたちまち魅力的なプロジェクトと化したのである。しかも、原子力は日本の指導者階級に、江戸幕府末期以来の長年の夢を実現に導いてくれるかもしれないという望みを抱かせた。それは、いつ方針を変更するとも知れない外国への依存度を減少させることだった。こうして、通産省と建設省のエリート官僚集団、中曽根康弘元首相のような強力な政治家たち、それに施設誘致の見返りに莫大な資金が永続的に懐に流れ込むことを期待した地元の自民党指導者たちが日本最大手の電力会社各社に支持と保護を提供したのである。その結果、これらの企業は世界で最も地震活動が活発な国で原発を数十か所も建設するという運命的な決定を行うことになった。研究・教育界の高名な「専門家たちがこれらの企業を擁護する一方で、日本の大手メディアは、誠実かつ有能な日本の技術者たちの手にまかさrている限り、原子力は100%安全な技術であり、日本に計り知れない恩恵をもたらすだろうというメッセージを大々的に広めていった(特にこのメッセージを拡散することに熱心だったのが読売メディア帝国である)。一旦決定が下された以上、もはや後戻りは不可能だった。その理由は埋没費用が莫大であることもさることながら、より端的に言えば、それほど重大な決定を覆すことを可能にする制度的な手段が存在しないことにあった。そんなことをしようものなら、根本的な誤りを犯すことが不可能であるはずの組織がミスをしたことを認めることになるからだ。
 しかし、読売新聞が「原子力村」による利益誘導についてどんな内容を報じようと(あるいは報じないことにしようと)、放射線被曝が人体に及ぼす影響を変えられるわけではなかった。(以下、略。p.152-6)

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