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2018/01/25

我々はなぜ我々だけなのか

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→ 午前十時過ぎの光景。雪やコンコン 気分はモンモン まだまだ、雪はこれからが本格的に。野良猫の足跡が点々と。淋しげ。
  

野良猫や足跡も細く埋もれけり

 昼過ぎ、重い腰を上げて玄関から車道までの10メーター(幅2メートル余り)を除雪した。スノーダンプ(ママさんダンプ)は、いいね。数十分でほぼ終了。汗が滲み始めたのでやめた。
 そのあと、早速、買い物へ。三十分ほどで帰宅したら、もう、庭は真っ白に。ああ!

 家の中での隙間にビニールシートを張る作業や除雪作業への褒美に、刺身を買ってくるつもりだったのに、あれこれ買っているうちに忘れてしまった。喰いそびれて、頭の中が真っ白に!

 ところで、吹雪くような空模様の中、除雪作業を一段落させて、買い物に行った。すると、スーパーには、いつもと変わらないような台数の車が。雪国の人たちはこれくらいの雪には負けない。みんな、逞しいなー。自分も負けちゃいられない。

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← 川端 裕人著『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(海部 陽介監修 講談社ブルーバックス)

 川端裕人著の『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』を読了した。
 本書は、フリーランスの文筆家が、アジア(特にインドネシア)の発掘現場へ取材に赴き、最新の研究の様子を伝えようというもの。特に、監修の海部陽介氏からの、ホットな情報は大きなウエイトを占めている。それだけに、内容は手堅い。やや、取材者の内幕話が過ぎるかなという感はあったが、それも、発掘現場へのアクセスなど研究者の苦労を偲ばせると思うべきか。
 本書の内容紹介によると

我々ホモ・サピエンスが出現する前、地球には実に多様な「人類」がいた。
教科書に載っているジャワ原人や北京原人、ネアンデルタール人だけではない。
身長わずか110cm、「人類の定義」さえ揺るがしたフローレス原人、 台湾の海底で見つかった「アジア第4の原人」澎湖人など、とくにアジアの「人類模様」は、目もくらむほど多種多様だった。
しかし、彼らはすべて滅び去り、いま人類は「我々」しかいない。
なぜ我々は我々だけなのか? 彼らと我々のあいだには、いったい何があったのか?

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→ 午後の四時過ぎの光景。さきほど、一瞬、晴れ間。一転して、吹雪。風が強烈で、杉や松、棕櫚、夾竹桃、南天など庭木の枝葉に積もっていた雪が吹き飛ばされた。さすがに、屋根の雪までは飛ばしてくれないね。

 本書で、目のうろこが落ちる話はいろいろあった。
 そもそも、アジアには、かつて複数の原人がいたってこと自体、テレビでの特集番組で伝えられていることではあるが、興味津々である。

 余談めいているが、例えば日本の貝塚などからの発掘から、当時の生活ぶりをある程度、偲ぶことができる。
 しかし、ジャワ原人の骨が発見発掘された場所から、ジャワ原人の生活を窺い知ることは絶望的である。
 なぜなら、発見される地層が古いこともさることながら、「(前略)ジャワ原人の化石が出る地層の大部分は、河川層、つまり川でできた層です。そこから化石が出るというのは、流されてきて溜まったからなんです」という、海部陽介氏の話から察せられる。
 よって、同じ場所から発掘された動物の化石から、同時代の動物相の情報は得られても、どこから流されてきたものなのかは分からないわけである。言われてみれば納得である。

 ただし、「彼らはすべて滅び去り、いま人類は「我々」しかいない」ことへの確かな答えは示されていない。原人や旧人などに比べ、我々現生人類は好戦的で他のヒトたちを圧倒した結果なのではないかという、ほのめかしはある。他種を(結果的に)絶滅に追いやることで、生活域を広げたのかもしれない。悲しい憶測なのだが。

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← 磯江毅「鳥の巣」(50×49.5 1989) (画像は、「磯江 毅 Gustavo Isoe 1982-2007  彩鳳堂画廊 アートインデックスネット art-index.net」より。) 拙稿「磯江毅…リアリティへの永久なる試み」など参照のこと。 

 寒い。我が家は、暖房は茶の間だけ。一歩、茶の間を出ると、吐く息が白い!
 窓や玄関、縁側の窓もだが(建付けが劣化していて、しっかり閉まらない)、家の中も隙間風がひどい(障子や襖も悲惨)。畳(の下の板)も、弱っている。今日、買ってきたビニールシートをあちこちに張りまくっていた。気休めなんだけどね。

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