『日本‐呪縛の構図』の周辺を走ってみる
→ 南桂子作「女の子と鳥」(1964年) 何処か富山を想わせる世界。(画像は、「香希画廊公式サイト」より) 拙稿「「南桂子と谷川俊太郎展」の周辺」参照のこと。
つい先日、寒波が峠を越したころ、「来週には、今回の寒波と同等かそれ以上の寒波が襲来するとか。弱いを重ねるごとに、段々、越冬という言葉がリアルに感じられてくる」などと呟いた。
明日にもまた強烈な寒波が襲来するようだ。
近所の方が亡くなられた。師走にも近所の方が二人、亡くなられている。いずれも、ご年配の方で、天寿を全うされたと思いたい。合掌。
ところで、今回の方の葬儀には行けなかった。仕事柄、帰宅は夜半過ぎ。お通夜は昨日の夕方。葬儀は今日の午前だったのだが、起きれなかった。余儀なく、香典を持って、何度か家を訪ねたが、鍵がかかったまま。老夫婦の二人暮らしで、旦那様が亡くなり、奥さんは自宅では住んでおられなかったのか。父の葬儀に参列してくれた方でもあるし、用意した香典、どうする?
村上春樹著の『走ることについて語るときに僕の語ること』を車中の待機中の友として読み始め、二回の営業日の待機中に読了してしまった。
「走ることについて語るときに僕の語ること - Wikipedia」によると、村上春樹のエッセイ集で、「タイトルはレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』に由来する」と、自身による後書きに書いてある。
← 村上春樹著『走ることについて語るときに僕の語ること』 (文春文庫) 「走ることについて語りつつ、小説家としてのありよう、創作の秘密、そして「彼自身」を初めて説き明かした画期的なメモワール」のようだ。
彼の小説などのタイトルには、変わったものがある。「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 」(文春文庫)や「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」 (新潮文庫)もだが、その最たるものの一つは、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』だろうか。
村上春樹が惚れる作家というからには、レイモンド・カーヴァーを読んでみたい。
本書のデータベースによると、「もし僕の墓碑銘なんてものがあるとしたら、“少なくとも最後まで歩かなかった”と刻んでもらいたい―1982年の秋、専業作家としての生活を開始したとき路上を走り始め、以来、今にいたるまで世界各地でフル・マラソンやトライアスロン・レースを走り続けてきた。村上春樹が「走る小説家」として自分自身について真正面から綴る」とか。
吾輩自身のマラソンなど、耐久力を問われる話題について、下記の記事がある:
マラソンや新聞配達の思い出話関連拙稿:
「マラソンの思い出…恋」
「東京国際女子マラソン…感動のラストシーン」
「青梅マラソンの思い出(前篇)」
「青梅マラソンの思い出(後篇)」
「 箱根駅伝…観戦記?」
「名古屋国際女子マラソンから「誰がために走るのか」のこと」
「バイクとて風が友とは限らない!(後篇)」
「06東京国際女子マラソン…やるだけのことはやったのだ!」
本書について、読書メーターの呟きで、以下のように書いた:
ストイックで潔癖で、職業作家の鏡のよう。非の打ち所がない。きっと、浮気(不倫)も一生しないんだろうなー。いや、しないほうがいいし、酒も嗜むほど、遊びもマラソン、趣味はクラシックやジャズなどの音楽(凝り性なほど)、博奕も薬物も無縁。でも、自分のような古い人間は、少なくとも作家に限らず芸術家には狂気を感じたい。制しようのない狂気と闇を嗅ぎとりたいのだ。健全で真っ当であらんとして、なお、常識からはみ出してしまう、世間からは埒外のクズであってほしい。尊敬されるのは、死後でいいんだよ。
誤解しないでほしいが、大切なのは、「健全で真っ当であらんとして、なお、常識からはみ出してしまう」の前半の下りである。紋切り型の芸術家ぶるのは、本意ではないのは村上春樹と同じなのだ。
そのうえで、でも、鬼気迫るような規格外の人間を感じたいということなのである。
← R・ターガート・マーフィー 著『日本‐呪縛の構図 上』(仲 達志訳 ハヤカワ文庫NF ) 「第二次大戦や福島第一原発事故など日本が直面してきた危機の背後に潜む矛盾の構造が今、ますます表面化しつつある――筑波大学名誉教授による日本論の集大成」だとか。
R・ターガート・マーフィー 著の『日本‐呪縛の構図 上』を読了した。
上巻は、呪縛の構図に嵌るに至る、これまでの日本をざっと見渡している。
それなりに日本の歴史を知る者には、時にざっくりし過ぎていると感じるかもしれない。
しかし、天皇陵が公開されないのは、万世一系という建前が、天皇陵を発掘調査研究されることで崩れる恐れがあるからと、率直な指摘を遠慮なくする、そんな口吻が続く点が面白い。
日本史については、日本のプロパーの立派な研究者が少なからずいる(はずだ)が、どうも隔靴掻痒の感が否めなかったりする。
本書についても、日本の専門家などから、そんなの常識だよ、ただ視点が違うから書かないだけだよと、軽くいなすやもしれない。
でも、だったら、お前が書けよと言いたくなるが、そこは忖度の日本。学者も無難なことしか書かないのが歯がゆい。
← ジョン・ダワー 著『増補版 敗北を抱きしめて (上) 第二次大戦後の日本人』(三浦 陽一 /高杉 忠明 訳 岩波書店) 「敗北を抱きしめて立ち上がった民衆の類まれな経験を語り尽くす.ヴィジュアル史料と文字史料が織り成す陰影深い戦後史像の誕生」。書評が結構、散見される:「[書評]『日本 呪縛の構図』 - 木村剛久|WEBRONZA - 朝日新聞社の言論サイト」
外国人の目には日本はこう見えるという、新たな視点を得られるという意味でも、本書は面白い。引き続き、下巻を読むつもりだが、ジョン・ダワー 著の『増補版 敗北を抱きしめて (上・下)』共々読めば、現状の日本を再認識するに、貴重な文献となるだろう。
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