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2017/12/16

『重力波は歌う』から宇宙を想う

 富山は今は雨。氷雨。でも、まだしばらくは雪にはならない感じ。明日は分からないけれど。
 昨日は仕事で、帰宅したのが夜中の三時過ぎ。普段は夜中の一時過ぎなので、ちょっと働き過ぎ。

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← ジャンナ・レヴィン著『重力波は歌う  アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち』 (田沢恭子/松井信彦訳 解説/川村静児 ハヤカワ文庫 NF)

 お蔭で体のリズムが狂ってか、今日の夕方近くまで爆睡だったり、うつらうつらだったりと、ほとんど横になった状態で過ごす羽目に。やはり、慣れない頑張りはしないことだ。ツケが大きすぎる。
 それでも、夕方五時過ぎには起きれるようになった。

 ようやく読書に身を入れる。仕事の大気中に半ば過ぎまで読んできた、ジャンナ・レヴィン著の『重力波は歌う』 の残りの百頁余りを一気に読み切った。

 本書は、出版社による内容案内によると、重力波を「米国の研究チームがついにとらえた。ノーベル物理学賞を受賞した歴史的偉業の裏には、どんなドラマがあったのか? 天文学の新地平を切り拓く挑戦の全貌を関係者への直接取材をもとに描き出す、出色のサイエンス・ドキュメンタリー」というもの。
 物理学や天文学に関心があっても、まして重力波を初めて捉えたという偉大な業績に興味津々であっても、小難しい理屈や数式は苦手という方、むしろ歴史的偉業の裏に繰り広げられただろう人間ドラマにこそ興味があるという方には、うってつけの本だろう。

 吾輩などは、著者がジャーナリストではなく、宇宙論などの専門家でもあるのだし、もう少し理論面で突っ込んだ説明もあってほしかった思いもあるが、ないものねだりだろう。
 その辺の物足りなさについては、まさにカルテックでこのスキームに深く関わった川村静児による解説があることは付記しておきたい。

 それにしても、科学者たりのドラマの人間臭さ。それぞれがそれぞれのジャンルの粋を極めた専門家だけに、他に譲らない頑固さ、信念のぶつかり合いであるが故の葛藤や悲劇。

 アインシュタインが重力波の予言をしてまさに百年後にこうした達成ができたことに、門外漢の小生すら感慨を覚える。
 というのも、中学の時に宇宙論に興味を持ち始め、名称(概念)としては重力波を散見していても、自分が生きている間に観測されるなんて、想像だにしなかった。
 ブラックホール自体、ただの好奇心の対象だった。指先ほどの量の物質が巨大な質量を持ち、地上に置いたらその重みで大地に沈み込むだろうなんて、中性子星の話も、まさに好奇心を掻き立てるばかりだったっけ。

 意図的にというわけではないが、同時並行して、自宅では、マックス・テグマーク著の『数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて』を読み続けている。
 マックス・テグマークは、物理学および宇宙論における思弁的な万物の理論 (TOE)である数学的宇宙仮説の提唱者(「数学的宇宙仮説 - Wikipedia」参照)。

「テグマークの唯一の仮定は、数学的に存在する全ての構造は物理的にもまた存在するというものである。すなわち、「自己認識する下部構造(人間のような知的生命体)を含むだけ複雑なこれらの[宇宙]においては、[彼ら]は自身を物理的に'現実の'世界に存在するものとして主観的に知覚する」ことを意味する。その仮説は、異なる初期条件、物理定数、または全く異なる方程式に対応する世界もまた現実であるとみなされるべきであることを示唆する」というもの。

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→ 「The sword of justice confines an evil spirit.」 (画像は、今はサイトが閉ざされてしまった、「La Moon」より。)

 ただ、素人的には、宇宙論の基礎中の基礎である、ビッグバン理論や、さらにはインフレーション理論が、暗黒エネルギーの発見などもあって、いよいよ信憑性が増してきたという認識があること。積み上げられてきたデータで裏付けがますます厚みを増しているという認識である。
 インフレーションが起きたとするなら、一度限りだったと考えるのが無理で、何度も何度もインフレーションが生じたと考えるほうが自然なのだという。

 つまり、多宇宙(マルチバース)もただの理屈ではないのかもしれない、こうした認識がマックス・テグマークの思考の土台にあるわけである。
 本書の初めの三分の一は、こうした経緯などを説明することに費やされている。本題はまさにここからなのだが、やはり難しい。読書が遅々として進まない。

 ここはやはり専門家の意見をと、「file2.青木薫・選:宇宙と人間の関係に思いを馳せる本|昨日、なに読んだ?|webちくま」を覗いてみたが、ちょっと当てが外れた。肝心のところが語られていない(一般向けには説明が難しいからか)。

 むしろ、必ずしも本書(あるいはマックス・テグマークの理論)を扱ったわけではないが、「我々と別の宇宙は本当にある 物理学の最新理論  宇宙論研究者の野村泰紀教授に聞く:日本経済新聞」が専門外の方にも参考になるかも。

 最後に、小生の宇宙観(生命観)を語った一文から、一部抜粋しておく:
 

生命とは何かと問われて小生には、答える術はない。ただ、生命が何処かの時点で生じたのだとしても、それはこの大地の上であり、この地球の上であり、この銀河の中で生まれたのであるとは思っていい。その大地も宇宙も、われわれが狭い意味で思う<命>ではないとして、宇宙そのものだって変幻を繰り返していると考えたっていいはずなのである。生命と自然(宇宙)をそんなに截然と分ける必要もないと思う。
 悠久の宇宙、でも、その宇宙も巨大な闇の世界を流れる大河であり、どこから来てどこへ流れていくのか宇宙自身にも分からない。しかも流れるに連れて蛇行し変貌し、そのあるローカルな鄙びた局所に我々が生きているのだし、また違う荒野には生命どころか素粒子さえも形成できない宇宙が延び広がり、その茫漠たる宇宙の彼方には、あるいは別の緑野の地に生きる別の我々が生きており、此方のわれわれとの交信を夢みているのかもしれない。
 生命体の形がこの世界に生じてさまざまに変幻してきたように、われわれの心も身体の変貌に連れて変容する。それまでは感じられなかった世界が心の世界に飛び込んでくるようになる、そんな経験を幾度となく年を経るごとに誰だって多少は経験したのではなかったか。それを成長と呼ぶのかどうかは分からないが、その心の感じる世界の変容は、時に喪失の悲しみをも伴うのだが、それでも、年を重ねるということはそれはそれで祝福すべきものに思えるのである。だからこそ、成熟という表現もあるのだろうし。
       (拙稿「『宇宙は自ら進化した』の周辺」より)

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← マックス・テグマーク著『数学的な宇宙 究極の実在の姿を求めて』(谷本 真幸訳 講談社) 「物理学、天文学、数学をもとに、著者は大胆な仮説「数学的宇宙仮説」――私たちの生きる物理的な現実世界は、数学的な構造をしている――そして、究極の多宇宙理論を展開」するという。しかも、数式を使わない、やさしい説明。しかし、書かれた内容は相当なもの。

宇宙論関係の拙稿(ほんの一部):
『エレガントな宇宙』雑感(付:「『宇宙は自ら進化した』の周辺」)
物理学界がいま最も注目する5次元宇宙理論
宇宙の神秘に対する畏敬の念
黒星瑩一著『宇宙論がわかる』
ヒッグス粒子…宇宙論激変への序章
宇宙像の大変貌
「人間は考える葦である」考?

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