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2017/12/26

大塚ひかり 『女系図でみる驚きの日本史』に驚きの連続

 半年ほど前に(あるいはもっと前か)届いた、愛車のリコール通知。年も差し迫った今日、重い腰を上げて自動車会社に電話したら、明日はもうお休み。来年の半ば過ぎに予約。検査や修理に数時間を要するって。いつも思うけど、リコールって、大概、何万台、あるいは何十万台だったりする。ホントに全部を修理しているのだろうか。それとも、所有者が連絡依頼しないと、そのままなのかな。

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→ Albrecht Dürer 『The Large Turf.』(1503. Watercolour and gouache on paper. Graphische Sammlung Albertina, Vienna, Austria.) (画像は、「Albrecht Dürer - Olga's Gallery」より) 拙稿「デューラーの憂鬱なる祝祭空間」参照。

 愛車のエントリーキー。電池が弱ってきていたので、修理店に来たついでに、電池を交換。待ち時間にサロン風の待合所でコーヒーを飲んだ。美味かった。さすが、世界的自動車メーカーだな。対応もちゃんとしているし。って、自分の会社と比べるのは論外だな。

 車中で、イチゴ大福を食べようとしたら、イチゴが転がり落ちて、ただの大福になっちゃった。かなしい!
 3秒ルールは知っていましたが、車内が暗くて、座席下に潜り込んだイチゴは発見に手間取り……。イチゴ大福を買い直しても、我が手をすり抜けて行ったあのイチゴの代わりにはならない……。
 それにしても、スーパーやコンビニで買う大福などは、防腐剤なのか、固まらないようにする薬剤なのか、とにかく(特に餅の部分に)薬品っぽい味やにおいがする。ホントに体に無害なのか。

 大塚ひかり著の『女系図でみる驚きの日本史』を昨日から読み始めた。
 車中で(つまり仕事での待機中に)読み始めたのだが、題名のごとく、まさに女系図でみる驚きの日本史だった。
 面白いし、驚きの連続で、いっそのこと、仕事を休んで帰宅して家で最後まで読み通そうか、なんて。
 でも、自重した。夜半過ぎに帰宅し、ひと眠りした後、続きを残りの140頁を一気に読み通した。

 出版社の内容案内によると、「胤(たね)よりも腹(はら)が大事――母親が誰かに注目した「女系図」でたどると、日本史の見え方が一変する。滅亡したはずの平家は、実は今上天皇にまで平清盛の血筋を繋げる一方、源頼朝の直系子孫はほどなくして途絶えているのだ。「史上初にして唯一の女性皇太子はなぜ誕生したのか」「徳川将軍家にはなぜ女系図が作れないのか」等々、著者作成の豊富な系図をもとに、次々と歴史の謎を解き明かしていく」という本。

 本書を車中で読みながら、下記のような呟きを連投した:
 

驚きの歴史が見えてきそう。平家は滅亡したけど、平氏は、今上天皇にも繋がっているとか。
 元正天皇は、女系天皇。「養老律令」(令集解)は、女系天皇を許容している!
 藤原不比等の思惑があっての条文ではと考えられている。ただ、いずれにしても、女系天皇の前例があるということは、否定できない。
 紫式部の系図を辿ると、土御門(83代)を経て今上天皇に繋がっているとか。
 紫式部は清少納言をライバル視していたが、式部の孫息子と納言の孫娘は恋人だった。
 紫式部は藤原道長の愛人だった(これは古典を読み親しむ方には常識かも)。
 平安時代の後期ともなると、宮中や平安貴族の連中の性的な乱れはすさまじい。親子、親と孫、姪っ子、甥っ子、息子や孫の嫁、ありとあらゆる男女を問わない性的関係が錯綜する。血筋と権力と政治的(出世上の)思惑があって、女子も男子も性的に可能な年ごろには性的搾取と横暴の対象になる。時には幼児とも呼べない時期から愛玩される。今、夜を騒がす不倫なんて、ケッであるほどの世界。
 平安後期にこのように乱れた…特に女性が受難ではないかと思えるほど、ひどい目に遭ったのは、平安前期までは母系社会で、女性(母=腹)が重視され重きを置かれていたから。それが、男系になり、女性は性の(小作りなどの)道具に貶められたからのようだ。

 というわけで、昨日読みだした本書・大塚ひかり著の『女系図でみる驚きの日本史』を今日、一気に読み通した。
 数々の著者の労作である系図が載っていて、参考になるのだが、関係があまりに錯綜していて、理解が到底及ばない。
 古典の数々に登場する人物たちに慣れ親しむことで理解が深まるし、想像も膨らむに違いない。不勉強が改めて痛感させられた。

 さて、参考になる系図を載せてくれているのだが、その著者が弱音(?)を吐いている箇所が。
 つまり、「著者が女系図を作ろうとして「はたと困った」のが、江戸時代」だというのだ(以下は、「大塚ひかり 『女系図でみる驚きの日本史』 新潮社」より):
 

  「女系図」が作れない唯一の時代

 著者が女系図を作ろうとして「はたと困った」のが、江戸時代。
 平安、鎌倉、室町、江戸時代の、最高権力者の母親の地位、出身階級を調べたら、時代が下がるにつれ正妻腹率が低下し、徳川将軍にいたっては、ほとんどが側室腹となったのだそう。しかも正妻は公家や皇族であるものの、歴代将軍の生母である側室は、百姓、八百屋、魚屋の娘や、親が死罪になった娘までいて、身分が低すぎて「女系図」が作れない。
 家康は、北条氏による鎌倉六代将軍までの歴史書『吾妻鏡』を愛読していた。
 そこには、北条政子と、実の息子である二代将軍頼家とその嫁の一族が、後継者をめぐって対立し、その結果、頼家の子、つまり政子の孫が殺され、嫁一族も処刑されたことが書かれている。頼家もその後「死去」したとあるが、『愚管抄』によれば「首に紐を巻き、陰嚢をつぶしたりして殺」されたのだとか。外戚争いの結果、将軍である子や、実の孫まで殺した北条政子および北条家。源頼朝の直系子孫は、ほどなくして絶えたため、以後、公家や皇族を将軍に迎えるようになった。
 家康はそのことを熟知していたはず。力のある外戚を作らず、徹底的に徳川家のみが力をもち、権力闘争を避ける意図があったのでは……と著者は推測している。


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← 大塚ひかり/著『女系図でみる驚きの日本史』(新潮新書) 平家は滅亡していない。大事なのは胤(たね)よりも腹だった!

 ところで、幕末から維新にかけての激動の時代、薩長の片割れである薩摩藩が大きな働きを成したことは知られている。薩摩というと、島津である。
 その島津と幕府(徳川)との深い絆にも一章が割かれていて、実に興味深かった。維新への激動を時代劇が描くなら、島津と徳川(さらには源氏)との関係に触れないでは、理解の浅いものとなるだろう。


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