坂口恭平氏の『徘徊タクシー』ってどうよ?
坂口恭平作の『徘徊タクシー』を読了した。一気に。
だが、夢中になって読み切ったとは、残念ながら言えない。
→ 「chicorium intybus, 2002 from Pollinate」 (etched pollen grain - magnification 5,000x) Gelatin silver print 18 x 21cm) (画像は、「Stills Gallery - Stephanie Valentin」より。拙稿「ステファニー・バレンティン:顕微鏡下の美」参照。)
小生は、タクシードライバーである。通算すると、19年(東京で12年と3ヶ月、帰郷して6年と10か月)。
東京で十年以上という経歴のタクシードライバーは珍しくないだろう。まして、富山で7年足らずなど、中堅とさえ言えない。が、都会と田舎の双方でそこそこに経験したとなると、そんなにはいない(と思う)。
東京でのタクシー稼業時代には、タクシーエッセイやドキュメントの類は、しばしば書いていた。
一方、富山でのタクシー経験をエッセイなどに書き綴ったことは皆無に近い。
そこには両方の地でのタクシー事情の違いが大きく左右している。富山では、仕事は大半が無線仕事。会社の指令で客のもとへ向かう。駅やホテルに待機してお客さんを確保する回数もバカにならないが、実際には会社頼みという面が大きい。
しかし、少なくとも小生が東京でやっていた頃は、まだカーナビも(小生が東京でのタクシー稼業を終える頃は)珍しかった。それ以上に、東京では無線仕事は一度も経験したことがない。また、したいと思ったこともない。
あくまで流し。それがタクシーだと思っていたし、営業所を出たら、あとは小さいながらも一国一城の主なのである。会社(営業所)の手は届かない(よほどの事情があれば、無線で呼ばれることがあるだろうが、自分にはなかった)。
さらに、富山のタクシーには無線はもとより、GPS装置が備わっている。GPSで会社は各車が何処にいるか、全て把握できる。公園の脇に車を止めてトイレへ…と思っても、容赦なく無線の呼び出しがある。応答が遅いと叱られる。ドライバーにしても、いつ仕事があるか分からないから、車(無線装置)から離れられない。
トイレだって食事だって、おちおちできない。小生のように早朝から夜半までの隔勤だと、場合によっては洗車や点検なども含めると一回、20時間以上の勤務になることもある。
当然、(少なくとも自分の場合は)一回を、途中に(ほとんどが夕方近く)二時間ほどの食事と仮眠の休憩を取って、夜の本番に備えていた。夜の深夜割増の時間帯が稼ぎ時だからだ。
それが、富山では無線だしGPS装着なので、待機中にうつらうつらして仮眠に替える。これでは身が持たない。
会社や配車係の連中の心証を悪くしてでも、休むことは安全のためにも健康のためにも不可欠なのだし、敢えてやればできないことはないが、そんな運転手は働かない連中とレッテルを貼られてしまう。
本来の(法律でも定められている)休憩をとることは罪悪なのである。少なくともハンディになってしまう、悲しい現実。
無線で仕事をもらえるというありがたい理屈は分かるのだが、それで体を壊しては元も子もないではないか。
余談が過ぎた。タクシー運転手の自分だから、タクシーに関係する本は大概、読んできた。
ほとんどが詰まらない。タクシーの現実をまるで知らない、せいぜい半年ほど懸命に働いて稼ぎまくったとか、こんなエピソードやドラマがあったとか、ゴシップを仰々しく騒ぎ立てるとか、まあ、次元の低いものばかり。
タクシーは最低でも十年は経験しないと、恥ずかしくて口出しなどできないと心得てほしい。
客商売なのだし、営業なのだし、なんといっても、座りっぱなしで腰などを傷めやすい、健康を害するなど、そんな<弊害>は十年は経験しないと分からない。
そんなことは外からでは決して分からない。
そんなそこそこの経験者として、本書の題名の『徘徊タクシー』には惹かれるものがあった。
タクシーで各地を徘徊して回る? どういう物語なんだ?
すると、出版社の内容案内によると、「徘徊癖をもつ90歳の曾祖母が、故郷熊本で足下を指しヤマグチとつぶやく。ボケてるんだろうか。いや、彼女は目指す場所を知っているはずだ! 認知症老人の徘徊をエスコートする奇妙なタクシー会社を立ち上げた恭平と老人たちの、時空を超えたドライブを描く」という。
思いもよらぬ物語。まあ、趣向としては面白い……かもしれない。
いわゆるタクシーのプロドライバーを念頭に置いての話ではない、その意味で自分の参考にはならないとしても、認知症の老人は(所謂ボケているんじゃなくて)異次元の世界を自分の意志で何かを目指して動いているんだ、という発想は貴重だし、展開の余地は相当にある。
← 坂口恭平/著『徘徊タクシー』(新潮文庫) 「祖父危篤の知らせに故郷の熊本に戻った僕は、認知症の曾祖母と再会。彼女に導かれるように出かけたドライブで、徘徊老人を乗せて時空を旅するタクシー会社を思いつく。この世にボケ老人なんていない。彼らは記憶の地図をもとに歩いているだけなんだ」というもの。
が、本書の作者は、リアルなタクシーの現実をまるで知らないのはさておくとしても、肝心の異次元の世界を自分の意志で何かを目指して動いている部分が描きこまれていない。何処かからSFっぽい話に逸れて、心の別次元を探求しきれていないのだ。がっかりである。
一気に読んだといのも、途中でこの作者は探求が頓挫していると感じてしまったから、読み浸る…読み味わるに値するとは思えなかったなのである。
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