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2017/12/30

屈辱の窃盗疑惑…灰色のままに

 もう、7年の昔になるが、私には苦い思い出がある。
 苦いというべきか、憤懣やるかたない思いというべきか、受忍し難い扱いを受けたという体験である。

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→ 何処まで載せていいのか、分からないけど、心の叫びを聞いてほしい…。

 2010年の秋、手術を要する治療のため、京都の大学病院に入院した。
 その年の夏七月、父母が相次いで亡くなり、四十九日も済んだ秋、長年耐えてきたある症状の治療のため、前にも治療を受けた京都の大学病院に向かったのだ。
(その際、また親の金を浪費して治療を受けるがやね、と姉に皮肉を言われたのも苦い記憶だが、これは別の話)
 症状については当時のブログなどに縷々書いたので、ここでは省略する。

 手術も無事に終わったある日のこと、四人部屋に居たその部屋に看護婦らが何人かやってきて、何かを探している。聞くと、私の向かいのベッドに居た若い男性が腕時計を紛失したというのだ。
 で、看護婦らが総出で探している。

 その男性は、普段は母親に甘えっきりなのだろう、ベッドの周辺は彼の私物が乱雑に散らばっている。ゴミも放り投げる状態で、ポリ袋も幾つかベッドなど、あちこちの突起に引っ掛けている。
 彼は、男の目にはだらしなく映るのだが、女性からすると、面倒を見たくなるような気の置けない、母性本能を刺激する男に見えるらしい。
 当然のように、看護婦らはみんな彼の味方である。

 私にすれば、腕時計なんて、ビニール袋にでも放り投げたか、そうでなくともどこかへ紛れ込んだと思うしかなかった。
 が、次第に私は看護婦らの視線に不穏なものを感じるようになった。

 彼の腕時計の行方、知りませんか、という問いに、あなたが所在を知っているんでしょう、もっと露わに言うと、あなたが盗んだのでしょうというニュアンスが濃厚に込められていることを感じた。
 腕時計はとうとう見つからないまま、何日か経過した。

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← 小生が入院していた科には、待合所がある。その奥には別室が二部屋あって、談話室となっている。手前は、テレビのある待機所(お見舞いに来てくれた方々との談話の場、ちょっとした玩具があり、子供たちの遊び場、本や漫画、雑誌などが十冊ほどあったりする)となっている。壁際には、ソファなどがある。手術も終わって、点滴も不要になり、院内を歩けるようになった或る日、待合室へ。目的は、電話をする必要があったからだが、室内の一角に置いてあるテーブルに、ノートを発見。あっ、十数年前の時にもノートがあったなと、手に取って読んでみた。やはりだった。主に手術の要のある子供たちの不安や、あるいは母やお医者さんへのお詫びや感謝の言葉が連ねられている。そんな子を抱える母親たちの思いも書き連ねてある。そんな子を産んでしまったことの苦しみが赤裸々につづられているのだ。94年の時にも、読んで涙したっけ。今回入院している病棟は、十年ほど前に新築・改築されたもので、当時のノートは見当たらなかった。当時でも、かなり古びていた。相当に読まれていたし、子供たちの落書きも乱雑に書き込まれていたのだが。今の新装成った科での待合所にあるノートは、やはりこの科に子供の治療のため付き添ってきた母親が、自分の思いの丈を書き綴るために、数年前に(…たぶん、この科が新装なって間もない頃か)発案して書き始めたもの。しっかりした文字で、思いの溢れるがままに書き連ねたのだろう、あれこれ縷々書き込まれていた。どうぞ、同じ境遇にあるお母さんたちも、自分だけじゃないことを知ってください、思いの丈を書き綴ってください、とも。できれば、三冊あるノートの頁の文面を全て掲載したいが、そうもいかないだろう。(念のため、全ての頁をデジカメにデータ保存してきた。ノートが破れたり汚れたり、子供の落書きも加わっているので、遅かれ早かれ読むに耐えない状態になるのは目に見えているから、せめて自分だけは保存しておきたかったのだ。)ほんの一例だけど(読みづらいだろうけど)、読んでみてほしい。ナースの方にも、この科に居る限りは、読んでみてほしいと薦めたけれど、読む時間など、ないんだろうなー。 (拙稿「病院で眺めた風景(追加)」参照のこと) 

 ある日、その病棟の看護婦長がやってきて、空き室の都合で、部屋を代わってほしいと言う。
 面倒ではあるが、断る理由はない。
 根は大人しい私は、素直に受け入れた。
 移った部屋は、なんと個室。私一人の部屋。なんとなく特別待遇のようなものを感じたりして、ホントに呑気な奴だったと後で気づかされた。

 看護婦長は、病院側の都合なので、移動の手配や手間はこちらで、という。
 私は言われるがままに、移り、個室を独り占めの気分を満喫していた。
 治療や検査などがない限りは、読書三昧である。病院の図書から借り出したり、病院の外の書店を探し出そうとしたり(1994年の入院の際はあった小さな書店はなくなっていた、少なくとも看護婦さんに聞いても教えてくれなかった)、見つからなくて、病院の売店にある本を、選択の余地はかなり狭い中から物色して、読むに堪える本を片っ端から読んでいった。
 
 私が、四人部屋から個室へ移動された理由に気づいたのは、迂闊にも退院の後だった。
 
 手術までやった患者が退院する際は、大概は看護婦の一人くらいは、玄関先までついてきてくれるものだが、その時はなかった。付き添いのない、独りぼっちの退院。
 それどころか、退院の日、看護婦たちの中で一番貧相な女性に、ここの病院の先生は腕に問題があるから、今度の治療には、東京の警察病院に行かれ、などと言われる始末。

 さて、病室を移動させられた理由とは、要するに、家探しである。警察用語(?)で言う、ガサを入れるというやつである。

 つまり、四人部屋の私のベッドの周辺を腕時計を見つけ出さんものと、徹底的に捜索したのだ。
 結果は? 見つかるはずがない。彼女らは、当てが外れた思いだったろうが、それでも釈然としない、不審な目つきで私を見る状態に変わりはなかった。私は退院するまでずっと、腕時計の盗人という目で見られていたわけである。
 ガザ入れが終わったのか、私は二、三日で個室からまた四人の部屋に戻された。

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→ 過日も紹介した、待合室に置かれているノート。その書き込みをもう一つだけ。 (拙稿「病院で鑑賞した美術作品(後編)」参照のこと。) 

 それに気づくのにかなりの時間を要したというのも、間抜けな話だが、自分としては腕時計を盗むという容疑が自分に掛けられているとは思いもよらなかった。
 いや、後から振り返ってみると、看護婦らの訝しげな視線、ある日からの突然の冷たい扱いへの変貌で、薄々は気づいていたはずだが、自分としては認めたくなかったというのが正直なところだろう。

 この疑いを掛けられ、しかも、自分に抗弁の機会もなく、ただただ疑わしき人物とみられていたという屈辱。
 当人の気持ちや容疑を晴らす手段はまるでないままに、闇の世界へ放り出され、孤立無援の状態を託つしかないという苦しみ。
 屈辱を晴らすことは今となっては、まったく不可能だが、灰色の人物と観られたままという、受忍し難い思いは、一度は文章の形で吐き出しておきたかったのである。

[原文は、画像を除き、「疑わしきは灰色のままで」(2017.09.12)より]

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