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2017/11/10

柏原兵三・前田普羅の面影を求めて(上)

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→ バイクにも慣れてきたので、これからは観光地ツーリングじゃなく、富山県にゆかりの文学者(や俳人・芸術家らの碑など)を訪ねるツーリングにしていこうと思う。まずは、芥川賞作家で、疎開のため少年時代を入善町の小学校で過ごした柏原兵三の碑などを訪ねる旅。「『少年時代』の原作・柏原兵三『長い道』 - 藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記」によると、「藤子不二雄A先生の『少年時代』は、芥川賞作家・柏原兵三氏の自伝的小説『長い道』を原作にしたマンガであ」り、この「少年時代が映画化されたわけである。

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← 当時の小学校は跡形もなく、公民館などの建物や公園になっている。公園の片隅にひっそりと佇むような柏原兵三の碑。彼の代表作「長い道」からの一節と、大江健三郎の紹介の小文が彫られている。「柏原兵三 - Wikipedia」には、「東京市渋谷区立千駄谷小学校在学中、1944年4月、父の郷里の富山県下新川郡入善町吉原に縁故疎開し、入善町立上原小学校(現在は廃校)に転入。敗戦に伴って1945年9月に帰京するまでを同校で過ごし、よそ者として過酷ないじめを受け、この時の体験を中学時代から『長い道』として小説に書き始めた」とある。

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→ 柏原兵三の碑を探していたら、なんと俳人・前田普羅の碑に遭遇した。富山にゆかりの大好きな俳人で、彼の句集は宝物。「前田普羅 - Wikipedia」によると、「1923年、関東大震災によって家財一切を失う不幸に見舞われる。翌年、富山県に転居、報知新聞社富山支局の支局長となる」とか。さらに、「ここで立山連峰をはじめとする雄大な自然に感銘を受け、以来立山や黒部の山岳をしばしば渡り歩き、また能登や佐渡、飛騨へも足を延ばし句を作った」という。また、「1926年、池内たけしに代わり「辛夷」選者に就任。1929年、同主宰となる。同年、富山永住を決意し、富山支局長となっていた報知新聞を退社、俳句に専念する」という経緯があるらしい。

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← 前田普羅が当地に在住同時、句会の中心となったりして活躍した。句会の場としてしばしば使われたという浄蓮寺が近くにあるということで、折角なので訪ねてみた。案の定、建て替えられていて、普羅が活躍した当時の面影は求めようもない。残念なのは、境内を探し回ったが、普羅の碑も何も見出だせなかったこと。住職に尋ねたら何かしら教授願えたのか。あるいは、普羅はもう忘れ去られた俳人なのか。

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→ 浄蓮寺の本堂の廻廊から、池のある立派な庭を眺める。浄蓮寺というので、日蓮宗系の寺かと思ったが、「浄蓮寺 富山県 立山黒部アルペンルート・黒部・宇奈月|おでかけトヨタ」によると、浄土真宗の寺院だという。同サイトによると、「浄蓮寺の桜は念興寺とともに、とやまさくら守の会・富山県中央植物園の調査・研究によって平成22年(2010年)新品種として発見・発表され、「富山さくらの名所70選」に選定されてい」るとか。

関連拙稿:
柏原兵三著の『長い道』を読み始める
前田普羅のこと(前編)
前田普羅のこと(後編)

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