神通峡ミニツーリング(後編)
→ 奇獣群像の背後には、石仏群が。親戚や知人や先輩、後輩などをモデルに彫ったとのことで、一体として同じ顔はないとか。ただ、じっと眺めていると、どこかしら似ているように感じてくる。彫る人が同じなんだから当然か。
肝心なのは、にもかかわらず読ませる力があることだ。戦後の混乱期だからこその、闇に蠢く獣どもでしかない人間たち。一方、あの熊野の地に生きる奴ら特有の選人(かつては貴人であり、その末裔)意識。つまり、自分等は常人のモラルや規範などに制約などされない、奇妙に歪な特権意識が彼らの心理や行動を一層、攪乱させてしまう。やがて彼等は膨らみすぎた矛盾に耐えられず、無謀な死や自死へと落ち込んでいく。
← そうした知り合いなどの人物群が並ぶなか、こんな石像が。明らかにスタイルのいい美人。この石像のモデルの方とも知り合い?
「千年の愉楽」は、短編群の総題。千年も生き、小説の舞台である路地に生まれ燃え、やがて消えていった人々の全てを見てきた、オリュウノオバという名の謎の産婆の回想記の形をとっている。色事師、荒くれ、夜盗、ヤクザといった熱い血の宿命に翻弄される一族をすべて取り上げてきた。物語の死と生というテーマもだが、題名の形からしても、どことなく、ガブリエル・ガルシア=マルケスの長編小説「百年の孤独」をイメージさせられる。というより、意識していたのかも、なんて。
→ さらに遡上し、猪谷関所館へ。41号線は、「ブリ街道」という別名がある。近年は、「ノーベル街道」とも。この沿線からは、何名ものノーベル賞受賞者が輩出したからである。この街道の要衝が、猪谷関所なのだ。
調べてみたら、そんなことを感じる人は自分だけではなかったと分かった。
吾輩は中上作品を読んでの直感に過ぎないのだが、こちらは、さすがに的確に分析されている。
その論は、「755夜『枯木灘』中上健次松岡正剛の千夜千冊」で展開されている。
さすが、松岡正剛氏である!
← 猪谷関所館の中に、猪谷関所が再現されている。実物大なのか。いくら当時の人びとが我々より小柄なのだとしても、やや小さ過ぎるし、ミニチュアなのかな。どことなく、お白洲っぽい。
→ どことなく、巨大なホシイカを連想させる「籠渡し」。この吊り籠に乗って崖を越えたとか。乗ることができるらしい。 「富山市 川を渡る 籠渡し」によると、「籠渡しは渓谷や急流をはさんだ断崖を渡る手段とされてきました。ここは国境警備のため橋を架けることが許されず、籠渡しが使われてい」たとか。
← 「猪谷関所館」の館内で展示されている西猪谷関所のジオラマ。ガラスケース越しなので、やや不鮮明なのが残念。それでも、当時の雰囲気が伺われる。
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