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2017/11/15

本は読みたしツーリングに行きたし

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→ 帰宅して、庭を見て回った。先月の台風による被害が随所に。ふと、隣家の壁際にひと群の花を発見。キク科の花か。去年までは目にしなかった。

 今日(9日)はお昼前、報恩講があった。一昨日は父の月命日。もしかして、この花を手向けよとの天の声なのか。

 目下の小さな悩みは、ツーリングに行きたや読書はしたし。快晴だと、出掛けたくてうずうずする。でも、次の連休は、幸か不幸か雨模様のよう。安心して(?)読書できる。
 晴行雨読! いいですね。ただ、来春までは畑仕事はしないけど、庭仕事はボチボチしないといけない。雨の日に外仕事はいやだし。つまり、晴れの日、外仕事かツーリングかの二者択一を迫られそうなことが来春以降に悩むかも。

 10月26日の台風21号で飛ばされたトタン板。ずっと探していたんだけど、二週間ぶりに発見した。それもつい先日も探した場所に。もしかして誰かがさりげなく吾輩が目にする場所に置いてくれたのか。それにしても、台風の被害が我が家では大きかったよ。
 この時の台風で屋根瓦が落ちるなどの被害があったので、火災保険でカバーできるようだし、代理人に連絡を取った。保険のことを思い出すのに時間がかかった。

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← 古堂の池は、灌漑用の溜め池。婦中町など広いエリアを潤す。でも、古洞の森は池も含め、観光地として、なかなかだ。

 我が家は先祖代々浄土真宗の門徒。過日、某宗派の末端の寺の閉鎖が相次ぐ、というのも、地方では門徒自体が減る一方で、寺の存立が困難になる一方だから。寺の統廃合も検討されたりするけど、宗教や信仰はそんな企業などの合理化の発想が馴染むはずもない。門徒は、各自の寺(住職や地域)にこだわりを持っているのだ。
 一方、市街地や都会などは新興宗教(団体)が勢力を増している。信仰や宗教(団体)への帰属意識や依存性までが薄れたわけではなさそう。既存の宗教団体の指導層は、末端の零細な寺からの上納金や組織の惰性の上に、胡座を掻いていて、危機意識が乏しいのではないか。
 法然や親鸞などの名までを挙げるつもりはないが、法主らの捨て身の現状打破への覚悟を問いたくなる。

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→ 富山市の郊外にある古洞の森へ。市街中心部から15キロほど。近くには、「とやま古洞の森自然活用村」があり、「古洞の森温泉」がある。バーベキューができるし温泉などのある、風光明媚な地。初めて来た。 池が素晴らしい。

 録画しておいた「NHKスペシャル 追跡 パラダイスペーパー疑惑の資産隠しを暴け」を見た。
 腹が立つ。富裕層は節税という名の合法的な脱税の手口(ルート)が無数にある。パナマ文書もだが、パラダイス文書も、貧乏人には憤怒の極みだ。日本だけでも、年間5兆円の課税逃れとなっている。消費税2%分が何十年も。
 日本人はなぜ怒らないのだろう。日本に限ると5兆円の脱税を庶民が負担している。毎年毎年!
 既成の政治家の鈍感な場に、国民の不満のマグマが溜まっている。マグマの噴火口を導ける政治(勢力)の台頭が求められる。が、お坊ちゃん(二世)政治家は、現状の上塗り政治を粛々とやるだけ。国民の不満には、勇ましい言行で関心を逸らす。その意味でアベさんや小池さんはうまくやっている。小池さんは、今度の選挙ではアベさんとのアウンの呼吸で、自民党に望ましい結果をもたらしたね。

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← 宮沢賢治/著『ポラーノの広場』(新潮文庫) 「イーハトーヴォから聞こえてくる賢治の足音。自伝的表題作、代表作「風の又三郎」の初稿を含む、珠玉の17編」とか。

 宮沢賢治著の『ポラーノの広場』を読み始めた。再読。本書は二度目かな。
 賢治ワールドには、付かず離れず。正直、ほんとに魅了されたのは、十数年前かな。鉱物学の素養がもたらすのか、それとも天性の資質なのか、色の表現に鉱石の色合い表現に由来するかと思える。森の動物、夜空の星、太陽、風、雨、土地、そのすべてが生きていて、友達のように仲良くし喧嘩する。誰が上でも下でもない。
 賢治ワールド作品の特徴の一つに擬音がある。自然界の何もかもが折に触れ音を発する。鳴き声なのか、歓声なのか、ぶつかり合う音なのか、維管束を流れる命の脈動音なのか、風の運んできた遠い谺なのか。風であれ土であれ岩であれ植物であれ獣たちだって生きていて動いている命の徴を発している。あなたに耳を傾ける心があれば聞こえてくるに違いない何か。

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← 中河与一/著『天の夕顔』(新潮文庫) 

 中河与一著の『天の夕顔』を読了した。一部での世評も高かったし、かなりの期待を以て読んだ……のだが……。

 出版社の内容案内によると、「本当にあの人だけは愛しつづけました──〈わたくし〉が愛した女には、夫がいた。学生時代、京都の下宿で知り合ったときから、〈わたくし〉の心に人妻へのほのかな恋が芽生え、そして二十余年。二人は心と心の結び合いだけで、相手への純真な愛を貫いた」とか。
 さらに、「ストイックな恋愛を描き、ゲーテの『ウェルテル』に比較される浪漫主義文学の名作。英、仏、独、中国語など六カ国語に翻訳された」ともいう。
 解説などによると、あのカミユが激賞したという。

 正直、まったく納得できない。吾輩は本書を読み通すのに、実に苦しい、憤懣極まりない思いをしていた。
 吾輩が読む限り、主人公の〈わたくし〉も、思いを寄せられた人妻も、実に我が侭勝手。
 まあ、不倫する二人は彼らに都合のいいように思い込み、本能と欲望に突っ走るものだが、まあ、それは彼らの勝手であり、好きにすれば、である。
 だが、彼らの我が侭ぶりが歴然とするのは、途中、〈わたくし〉がどうしても思いが叶わず、ある大人しい女性と男女の関係になり、不倫相手の女性の勧めもあり、そうなった以上は結婚しなきゃいけないと言われ、結婚する。愛もなく。
 その女性はやがて不幸な死を迎えるのだが、彼らの彼女への同情心はまるでない。愛もなく、世間体だけで結婚した女性は何だったのか。
 とにもかくにも、不倫の男女の我が侭勝手な言動ばかりが目立つのである。
 こんな作品をカミユが褒めたのかと思うと、吾輩のカミユへの評価を見直さないといけなくなる。

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