最後の挑戦になるのか
出版社の紹介によると、「1950年代前半、アイルランドの田舎から大都会ブルックリンへ移民した少女の感動と成長の物語。アイルランド文学の至宝!」とか。
初めての作家の初めての作品。何といっても、主人公に感情移入ができるかが、最後まで読み通せるかの鍵となる。一応、共感は持てているので、楽しんで読み通せそう。
先日、便利屋さんに庭木の整理をやってもらった。大概の樹木は自分でやるが、脚立に上っても届かない木については、自信がない。さすがに、特殊な梯子を持ってきて、樹高のある木の枝葉などを刈ってくれた。電線や家の屋根に寄り掛かる枝葉、あるいは風が吹くと道路に松葉を思いっきり飛ばす松の枝葉などを取っ払ったことで、一安心である。
→ 来週にもライダー復活。父母の七回忌法要も済ませたし、あとは自分の好きなことをやる。残念ながらオートバイじゃなくスクーターだけど、ライダーに違いない。ヘルメットは押し入れから引っ張り出してきた。内装を洗濯。見掛けは新品。
だが、おそらくは相場より二倍は高いカネを払ったにも関わらず(実際、気が咎めたのだろう、折角だから他にも切る木はないかと先方から伺ってくる)、後始末が雑。松の枝葉が他の庭木の枝やに引っかかっているのを放置したまま。タバコの吸い殻をあちこちに捨てていった。
余儀なく、一昨日、そして今日と、後始末に汗を流すしかなかった。
大江健三郎著の『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』を読み始めた。
本作は、二か月ほど前、読み始めていたのだが、どうしても作品の世界に没入できず、冒頭の30頁ほどで放棄。
昨日から、トライアゲインとばかりに読み始めた。やはり、何かアーティフィシャルな感じが拭えなくて、読むのが苦痛。
核(兵器)とかベトナム戦争とかを日本の日常の中から抉ろうという、各時代の想像力の可能性を探っているのだろうが、何か隔靴掻痒の感が何処までも付きまとってくる。
核もベトナム戦争など世界情勢への深く強い関心は御尤もなのだが、今一つこなれていない気がする。
あるいは詩作の形なら、想像あるいは妄想の翼を何処までも羽搏かせることができるかもしれないが、小説はどうなのか。あるいは作家の腕次第で可能になるのか(誰か可能ならしめたのか)。
← 大江健三郎/著『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(新潮文庫)
出版社による本作の紹介によると、「外部からおそいかかる時代の狂気、あるいは、自分の内部から暗い過去との血のつながりにおいて、自分ひとりの存在に根ざしてあらわれてくる狂気にとらわれながら、核時代を生き延びる人間の絶望感とそこからの解放の道を、豊かな詩的感覚と想像力で構築する。『万延元年のフットボール』から『洪水はわが魂に及び』への橋わたしをなす、ひとつながりの充実した作品群である」とか。
そうそう、これらの作品も読もうとチャレンジしたが、ダメだった。冒頭で跳ね返された。
ノーベル文学賞を受賞した際、ミーハーの自分も御多分に漏れず、密かに手にしていたのだが、ハードルは自分には高かった。
さて、再チャレンジの今、過日、呟いたように、「波長が合わないのか、表現されているはずの世界に入り込めない。今回もダメなら、大江さんとはおさらばかも」となってしまうのか。
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