疑わしきは灰色のままで
今日(月曜日)も庭仕事。表の生垣の枝葉が伸びすぎて道路面に食み出しているので、その剪定。あとは野菜の収穫。といっても、キュウリやミニトマトはもう終わっていて、ナスだけが結構、採れた。
このナスの収穫を以て、今年度の野菜の収穫は終わりである。
→ 国見弥一『メロンの月 やいっち短編集』(エース・プリントデザイン) 自著、来週末、地元の書店に並ぶ。いよいよです。色はもっと濃い紺色にしたかった。そこにメロン色の月影を浮かべたかったのですが、予算の都合でシンプルに。 「books-nakada 掛尾本店」「books-nakada 奥田店」「books-nakada ファボーレ店」などにて販売の予定。
今日は、二か月ぶりに本をまとめ買い。このところ、昔の本の再読を繰り返してきたが、そろそろ新しい本を買い込むことに。
新刊本を注文したのだが、かなりの本が品切れで手に入らない。ネットで古本の形で入手するしかなさそう。
昨日(日曜日)は、ホームセンターへ。表の生垣に、木柵代わりに設置する、緑色の金網、リーフラティスなどを買ってきた。夕方に作業するつもりだったが、買い物に手間取り、夕方は読書……のはずが、寝込んでしまい、目覚めたら夜半近く。しかも、リクライニングで。夕方から夜半まで寝ちゃうなんて、ついざなかった。
[盗人扱いされた屈辱の思い出]
もう、7年の昔になるが、私には苦い思い出がある。
苦いというべきか、憤懣やるかたない思いというべきか、受忍し難い扱いを受けたという体験である。
2010年の秋、手術を要する治療のため、京都の大学病院に入院した。
その年の夏七月、父母が相次いで亡くなり、四十九日も済んだ秋、長年耐えてきたある症状の治療のため、前にも治療を受けた京都の大学病院に向かったのだ。
(その際、親の金で治療を受けるがやね、と姉に皮肉を言われたのも苦い記憶だが、これは別の話)
症状については当時のブログなどに縷々書いたので、ここでは省略する。
手術も無事に終わったある日のこと、四人部屋に居たその部屋に看護婦らが何人かやってきて、何かを探している。聞くと、私の向かいのベッドに居た若い男性が腕時計を紛失したというのだ。
で、看護婦らが総出で探している。
その男性は、普段は母親に甘えっきりなのだろう、ベッドの周辺は彼の私物が乱雑に散らばっている。ゴミも放り投げる状態で、ポリ袋も幾つか突起に引っ掛けている。
彼は、男の目にはだらしなく映るのだが、女性からすると、面倒を見たくなるような気の置けない男に見えるらしい。
当然のように、看護婦らは彼の味方である。
私にすれば、腕時計なんて、ビニール袋にでも放り投げたか、そうでなくともどこかへ紛れ込んだと思うしかなかった。
が、次第に私は看護婦らの視線に不穏なものを感じるようになった。
彼の腕時計の行方、知りませんか、という問いに、あなたが所在を知っているんでしょう、もっと露わに言うと、あなたが盗んだのでしょうというニュアンスが濃厚に込められていることを感じた。
腕時計はとうとう見つからないまま、何日か経過した。
ある日、その病棟の看護婦長がやってきて、空き室の都合で、部屋を代わってほしいと言う。
面倒ではあるが、断る理由はない。
根は大人しい私は、素直に受け入れた。
移った部屋は、なんと個室。私一人の部屋。なんとなく特別待遇のようなものを感じたりして、ホントに呑気な奴だったと後で気づかされた。
看護婦長は、病院側の都合なので、移動の手配や手間はこちらで、という。
私は言われるがままに、移り、個室を独り占めの気分を満喫していた。
治療や検査などがない限りは、読書三昧である。病院の図書から借り出したり、病院の外の書店を探し出そうとしたり(1994年の入院の際はあった小さな書店はなくなっていた、少なくとも看護婦さんに聞いても教えてくれなかった)、見つからなくて、病院の売店にある本を、選択の余地はかなり狭い中から物色して、読むに堪える本を片っ端から読んでいった。
私が、四人部屋から個室へ移動された理由に気づいたのは、迂闊にも退院後だった。
手術までやった患者が退院する際は、大概は看護婦の一人くらいは、玄関先までついてきてくれるものだが、その時はなかった。それどころか、ここの病院の先生は問題があるから、今度の治療には、東京の警察病院に行かれ、などと言われる始末。
さて、病室を移動させられた理由とは、要するに、家探しである。警察用語(?)で言う、ガサを入れるというやつである。
つまり、四人部屋の私のベッドの周辺を腕時計を見つけ出さんものと、きっと徹底的に捜索したのだ。
結果は? 見つかるはずがない。彼女らは、当てが外れた思いだったろうが、それでも釈然としない、不審な目つきで私を見る状態に変わりはなかった。私は退院するまでずっと、腕時計の盗人という目で見られていたわけである。
それに気づくのにかなりの時間を要したというのも、間抜けな話だが、自分としては腕時計を盗むという容疑が自分に掛けられているとは思いもよらなかった。
いや、後から振り返ってみると、看護婦らの訝しげな視線、ある日からの突然の冷たい扱いへの変貌で、薄々は気づいていたはずだが、自分としては認めたくなかったというのが正直なところだろう。
この疑いを掛けられ、しかも、自分に抗弁の機会もなく、ただただ疑わしき人物とみられていたという屈辱。
当人の気持ちや容疑を晴らす手段はまるでないままに、闇の世界へ放り出され、孤立無援の状態を託つしかないという苦しみ。
屈辱を晴らすことは今となっては、まったく不可能だが、灰色の人物と観られたままという、受忍し難い思いは、一度は文章の形で吐き出しておきたかったのである。
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