善を熱望させるためにのみ絶望をうたう
← ダフネ・デュ・モーリア作『いま見てはいけない―デュ・モーリア傑作集』(務台 夏子【訳】 創元推理文庫) 「日常を歪める不条理あり、意外な結末あり、天性の語り手である著者の才能が遺憾なく発揮された作品五篇を収める粒選りの短編集」だとか。読む楽しみを取っておきたいと、に敢えて温存してきたが、そろそろ解禁。昨夜から読み始めた。リルケの「マルテの手記」やロートレアモンの「マルドロールの歌」など、ややハードな作品を読んできたので(さらに今、李賀の漢詩選や吉本隆明の本も読んでいる)、娯楽系で一息。
今日の富山、午前中に33度を超えた。スカッというような青空じゃなく、どことなく鈍より。湿度が非常に高い。午後には雨か。そんな午前中に通院のため内科医院へ。数値など検査結果は思わしくない。でも、お医者さんに励まされ、食べ過ぎに注意、食べる内容にも注意。外仕事は、継続が大事などと。検査結果については、処方された薬が昨日で切れていて、今朝は飲んでいないので、参考にならず、次回は必ず飲んだうえで来るようにとクギを刺された。
← ジョージ・オーウェル作『一九八四年(新訳版)』(高橋和久訳 ハヤカワepi文庫) 四日ほど前から車中で読みだしている。まだ三分の一も読んでいないが、実に読みごたえがある。一党独裁的に支配する超全体主義的近未来という設定だが、そんな予備知識などなしに、小説として出来がいい。これだと、若いころ、味読できなかったのも無理はなかったかな。
ジョージ・オーウェル作の『一九八四年(新訳版)』を読了し、感想は前回のブログで書いておいた。
ここには、その続きを少々:
主人公は、それなりの知性があり、自負の念もあったが、出会った人物の圧倒的な知性にはまるで敵わない。何を考えようと想像しようと、そんなものはとっくに彼によって考え尽くされている。どう考えようと、そこには凄まじい知性の壁が立ちはだかっていて、体力も知力もまるで無力だと思わされていく。心の中の思いもねじ伏せられ、やがては、生きる唯一の希望であったはずの愛さえも、打ち砕かれてしまうのだ。
→ スイカを収穫。三年目にして、初めてのまともな収穫。悲しくも一個だけ。あと五個、生ったのだけど、一個は収穫早すぎ、四つは何者かに(鳥に?)潰され、哀れな姿を晒していた。その貴重な一個は、冷やして、明日、仕事から帰宅したら、ゆっくり食べるよ。
収穫した日曜日の夜、真っ二つに割ったら、中は真っ赤。ってことは、不味いはずがない!
一昨日、収穫したスイカ。その夜に真っ二つに断ち割り、ラップして冷蔵。昨夜、半分、今朝、残りの半分を一人で!!)いただいた。中は真っ赤で、やや熟し気味。あと一個でもあったら、よそ様にお裾分けするんだけど、ま、今年は三年目にして成功した自分への褒美ということで。
← 『蘇る!日活ロマンポルノ - 1971~1988全作品アーカイブス』(徳間書店) 長らく座右にあって、折々思い入れたっぷりに拾い読みしてきたけど、そろそろおさらば。書棚に収める。そのうちまた、会おうね。 「ロマンポルノやら組合解散やら」 「ロマンポルノとAVの間に」 「日活ロマンポルノに映る〈海女〉 - J-STAGE Journals」
「トップページ日活ロマンポルノ公式サイト」
アナザーストーリーズ「ロマンポルノという闘い 日活・どん底からの挑戦」:
1970年代、名門日活が経営難から突然ポルノ路線に舵(かじ)を切った。「ロマンポルノ」。だがその現場から「天と地と」や「リング」につながる名監督やプロデューサーが続々生まれる。その知られざる舞台ウラ!のちに「セーラー服と機関銃」を手がける伊地智啓が語る、葛藤と覚悟とは?警察からの摘発、裁判、そこに予想もしなかった味方が!今だからこそ語れる思いを、第1作の主演女優、スクリプターらが赤裸々に明かす。

← ロートレアモン作『マルドロールの歌』 (栗田 勇訳 角川文庫クラシックス) 翻訳がかの栗田 勇だったことに、今更ながら気が付いた。当時、理解していただろうか。それとも、同氏の訳だということで、やや敷居の高い本書を手に取ったのか、今となっては記憶が定かでない。
ロートレアモン作の『マルドロールの歌』 を今日(火曜日)読了した。
一昨日だったか、有名な一節「ミシンと蝙蝠傘との解剖台の上での偶然の出会い」に出会った。ここだよね。いつ読んでも(といっても、全文を読む試みは二度目だが、引用の形で随所で随時、出会ってきた)この下りでドキドキする。
ロートレアモン、本名はイジドール・デュカスは、1880年24歳で一人、ひっそり亡くなった。ということは、この作品はまさに夭折の作家の作品ということになる。
デュカスは、ある出版社の編集者に充てての手紙の中で、本作品についてこのように語っている:
(前略)ぼくは悪を歌った。(略)バイロンやミルトンやミュッセやボードレールなどと同じように。勿論、ぼくはその調子を些か誇張したが、それも、ひたすら読者をいためつけ、その薬として善を熱望させるためにのみ絶望をうたう、このすばらしい文学の方向のなかで新しいものを作りだすだめなのだ。だからそもそも、総体として歌っているのは常に善である。(以下、略)
もう、小生ごときが贅言を弄するのはやめるべきだろう。
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