『君の名は。』からいろいろと
→ 名前の分からない花、『君の名は。』?庭先に群生風に咲いて、なかなか壮観。ただ、道路沿いの垣根に遮られて、通行人には気付かれないかも! その後、SNS仲間に名前を教えていただきました。テッポウユリだそうです:「シンテッポウユリ(新鉄砲百合)-庭の花200選」
上掲のテッポウユリ。我が家の庭に自生(!)している。が、毎年、開花を楽しめるわけではない。
なぜか。それは、春先からの草むしり作業で、まだ花になるのか雑草なのか分からない段階で、めったやたらと<雑草>を毟りまくるのが常だからである。今年は、我が魔の手を逃れることがたまたまできたというわけである!
← 今日の収穫。やや少ない。あげるほどではないので、自分用。ナスやキュウリは浅漬け。ミニトマトは、しっかり冷やして、夕食のデザートに。リッチな食生活かな。スイカも間もなく。
台所の流し。生ごみの網や排水溝を手洗い。たわしを使って。以前は、ハイターなどを使っていたが、水を汚染するので、よほどの機会に使う。たわしで洗っただけでも、見た目はすっきりピカピカ。夏場は生ごみが腐りやすいし、生ごみ網もねばつきやすい。お風呂の排水溝も、入浴の際にたわしでごしごしやる。ぬめぬめして気持ちが悪い。でも、もう慣れた。髪の毛などがいっぱい挟まっていて、自分の穢れなのだから、自分の手で綺麗にする。ただし、指や手などに傷があるときは、絶対にしないよ。
→ 数日ぶりに母子猫三匹一家を見た。このところ、三毛猫柄の母猫や褐色の体毛の仔猫を見ておらず、焦げ茶色の子猫しか姿を見ていなかった。餌にありつけず、軒下の塒でへたばっているのでは、なんて。すべては杞憂だった。画像では分かりづらいが、母猫は口にすっかり干からびた小鳥をくわえている。となると、もう、チーズかまぼこなどをやらなくていいのか。
母猫も、人間でいえば娘だろうが、日々急激に逞しくなっている。流石だ。野生ならではのサバイバルなのかな。
塩分の濃い食べ物はダメですね。今日、母猫がエサを加えて何処からかやってきたのを見て、もう、吾輩がエサのことを心配する必要がないのかな。チーズかまぼこ、塩分、濃いんですね。自分も食べるの控えないと。
猫たちが我が家の軒下に住み込んだのは(そう、隣家の人に教えられたのは)、先週の水曜日。今日で一週間。わずか一週間なのですが、気が気でない日々でした。母猫が外でエサを確保できるとなると、あとは見守るだけでいいのでしょうね?
最初に見かけた時、猫たち、親も子もあまりに痩せていたので、信条に反して、ついエサをあげてしまいました。その後も彼らの状態に気を使ってきた。飼い主になるとなると責任が生じます。宿を提供するにとどめ、何とか彼らに自立して生きてもらいたいです。
← 上野 誠 著『万葉集から古代を読みとく』 (ちくま新書) 「歴史の中の『万葉集』。歌の拡がりを示す、出土した考古資料。民俗学が教えてくれる歌の文化の本質。それらを総合することによって、『万葉集』の新しい読み方を提案する画期的な書。“情感を伝える歌”“事実を伝える日記”“共同体が伝える物語”。古代人は、どうやったら、これらをうまく書き表し、後世に残せると考えたのか。斬新な古代文化論、万葉文化論が、ここに出現」とか。確かに、「万葉集」論として、ユニークな視点が幾つも。ただ、内容からする、続々と出土した木簡などの考古資料や民俗学の新しい知見から読み解く「古事記」や「万葉集」あるいは「歌」という趣向だったような。
ネット上で見いだされた、本書の前半のハイライト部分の引用文を転記する:
山上憶良は、無位無官から、その漢文の才によって見出され、遣唐使となって唐に渡り、最下級ではあるが、貴族となって地方官を歴任した人物である。時の皇太子、首皇子(聖武天皇)の侍講(家庭教師)ともなっているところから察すれば、その漢文における作文能力は、同時代において高い評価を受けていたものとみられる。
外来の知識を受信して、外国語を解さない人びとに発信することが、長く知識人に課せられた役割だったのである。そこに、『地位』と『名誉』と『富』の源泉もあったのである。・・・では、日本的な知性とは、どのようにして生まれるのであろうか。私は、『組み合わせ』と『ずらし』によって生まれるのではないか、と考える。憶良は、中国の『思子詩』すなわち子どもを思う文学を知り、自らの子どもに対する愛を日本語の歌で表現しようとした。それに、漢文の序を付けたのである。理の文体である漢文と、情の文体である和文とを融合することによって生まれるものこそ、憶良独自、日本独自の知性ということになる。・・・理は漢文で示し、情は万葉仮名の歌で示す。ゼロから作るのではなく、既存のものを組み合わせるのが日本型の知性である。『万葉集』が、日本精神の書であるなどというのは、いわれなき俗説、妄言である。もし、『万葉集』に、日本的な部分があるとすれば、私は、その組み合わせの味わいにあると考える。
日本型知性の特性のもう一つは、『ずらし』の工夫である。それは、原語の意味や原書の内容を意図的に『ずらす』ことで、独自のものを作ろうとする営為である。憶良は釈迦の言葉も、歪曲して使ったのであった。もし、インド仏教や、中国仏教に対して、日本仏教というものがあるとするならば、それは仏教経典の正しい解釈や正しい理解の継承から、はじまるものではない。逆に、誤解や歪曲からはじまるものである。むしろ、誤解や歪曲にこそ、独自性があると考えてよい。鎌倉仏教の祖師たちは、誤解や歪曲の天才だと私は思っている。
日本型の知識人は、いいかえれば、他文化と日本文化を結ぶ人たちなのであった。一方で、彼らが常に警戒したのは、安易な受け売りであった。つまり、受け入れる側の主体性を忘れることを、常に警戒していたのである。その警句こそ、『和魂漢才』といえよう。一般的には、大和魂を忘れずに、中国の先進文化や技術を受け入れることと考えられているが、そもそも『和魂』が認識されるのは『漢才』によるのであるから、むしろ、この言葉は、日本的な知性のありようを示す言葉と考えた方が、より実態に近いだろう。
和文の歌には、漢文の序が付いており、その序文と合わせて読むことによって、われわれは憶良の思考に触れることができる。そこにあるのは、意図的になされた誤解と歪曲の上に展開された、憶良独自の主張であった。では、その中心をなすものは何であったかといえば、一字一音で綴られた子どもへの思いを伝える歌なのであった。憶良こそ、日本文学史上はじめて、子どもへの愛を綴った歌びとなのである。けれども、それは中国詩の子どもの文学を手本として、はじめて可能になったのである。彼は、漢文で書かれた序を通じ、己の子への思いを自由に語る免罪符を得たのであった。そして、己の歌を通して、家族愛の大切さを国司として民衆に説いたのである。漢才があればこそ、大和魂は活かされるのだよ、という『源氏物語』の主張と、憶良の営為を、私は今、重ね合わせて見ている。
書物を通じて、中国の言語と文字、さらに広がって文化に触れて、己の思想を鍛える。時に、その教えを捩じ曲げて、自らの主張をなす。そういう日本型知識人の源流を、山上憶良など『万葉集』に見出すことができる。
さらに、「映画『君の名は。』と『万葉集』|ちくま新書|webちくま」にて、「2016年話題になった映画『君の名は。』のタイトルは、『万葉集』に収められた歌に由来しています。1500年前の古代と現在を結ぶ、歌という表現方法を手がかりに、『万葉集』を斬新に解剖していく5月刊ちくま新書『万葉集から古代を読みとく』(上野誠著)の「はじめに」の一部を公開」されている。
「映画『君の名は。』のタイトルは、『万葉集』に収められた歌に由来」していることは、映画を見た人なら知っているだろう。
そういった、この映画に魅せられた人に限らず、本書は興味深いはず。
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