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2017/08/21

日本人はデラシネの思想が好きなのか

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→ 雨のため、数日ぶりとなったが、野菜を収穫。10分で作業は終わると思っていたけど、ミニトマトの茎が繁茂していて難航。立派に育った野菜は全部、あげちゃう。これで今年最後の収穫作業……じゃなさそう。

 土曜日の夜、NHKラジオで、五木 寛之が語る藤圭子さん(以下、敬称略)の世界の話を聞いていた。彼女は四年前の夏、飛び降り自殺しました。娘さんの宇多田ヒカルさんによると、精神の病だったとか。本人の意向で葬儀も行われなかったらしい。藤圭子は、デビュー当時から気にかかる存在だった。山口百恵とは違ったベクトルでだが、何処か陰のある歌手。プロデューサーや作詞家作曲家、各界の評論家と、多士済々の人物たちが彼女への思い入れを語ってきた。十代にして、虚像だとしても、泥水を啜ってきたに違いない、まさにド演歌にぴったりの歌手。

 五木 寛之は、藤圭子という歌手を彼の得意な言葉で、デラシネ(根無し草)の思想や感情の思い入れをしやすい歌手だったと評していた。

 昨今の新人歌手であれだけの存在感を持った歌手は見受けられない。経済成長の陰で、日本社会の歪みも相当なものがあった。公害病の蔓延、環境破壊、贈収賄の横行、男尊女卑という社会の軋みなどなど。藤圭子という歌手には社会の負と陰を背負わせられ続けた。彼女の本来の持ち味や好みは、ポップスだったようで、朗らかな性格だった……が、そんな明の世界は封印せざるを得なかった。顔の齎す雰囲気もだが、彼女のドスの聞いた声の質が闇と陰へと周囲が傾斜させた。本人の希望や意志は無視されて。

 こういったことが清新の病につながったと考えるのは、これまた安直すぎる理解だろう。にもかかわらず、周囲は好き勝手に思い入れしてしまうのである。若い彼女には重荷だったに違いない。それでも、私にしても、彼女のヒット曲を聴きながら、高度成長期の陰と陽を深読みして、遠い瞑想に浸ってしまうのである。
全文表示 宇多田ヒカルが母・藤圭子の自殺を初めて語る 「とても長い間、精神の病に苦しめられていました」 J-CASTニュース」 

 今夏は、まだ一度も蚊取り線香、使っていない。

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← ジョージ・オーウェル作『一九八四年(新訳版)』(高橋和久訳 ハヤカワepi文庫) 四日ほど前から車中で読みだしている。まだ三分の一も読んでいないが、実に読みごたえがある。一党独裁的に支配する超全体主義的近未来という設定だが、そんな予備知識などなしに、小説として出来がいい。これだと、若いころ、味読できなかったのも無理はなかったかな。

 面白くて、今日中には読了しそう。本書の物語が描くのは、究極のユートピアだ。ユートピアとは、理想郷、この世にはありえない、いな、あってはならない世界のことだ。あるこの世でただ一人の絶対権力者が、あらゆる人間の行動やどころか、内面をも支配する。徹底した監視で一挙手一投足のみならず、表情や仕草、息遣いまでもが見尽くされている。オーウェルの時代では、絶対権力者の忠実な臣下、崇拝者、スパイたちが、公然の、あるいは秘密の監視装置で見張るしかなかった。

 が、現代では超小型のドローンやナノカメラなどで、機械的にあらゆる情報は記録可能になりつつある。しかも、監視されていることに慣れ、安心感さえ抱き始めている。物語の絶対権力者は、権力者は権力の独占と維持自体が目的なのだという。権力に逆らう者は、徹底して無力化され、やがては権力に平伏することに快感と安堵の念を覚え、弱者は抵抗という発想すら浮かばなくなる。それでも、内心の自由、究極の自由としての、人を愛する心、それだけは誰も、絶対権力者であっても奪えない……ってのが、物語のテーマなのかもしれない。早とちりか?

 その後、当日、本文を読了したが、案の定、早とちり。浅はかな読みだった。
 結末は(詳細は語らないが)あまりに悲劇的。そしてだからこそ、本作を名作にしているし、今後とも読まれる小説たらしめている。
 本文は、上記のように土曜日、仕事の待機中に読了したが、解説などを今日(日曜日)読んだ。解説はなんと、トマス・ピンチョンである!

 BS1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”」を録画で今日、じっくり見た。戦争の悲惨、空襲の悲惨を想うなら、日本人のみならず、多くの方に見る価値あり。今年のNHKの終戦特集は、充実した番組が多かった。731部隊の特集なんて、怒りそのもの。日本の蛮行も少なからぬことを思うと、日本は単純には被害者面はできないのが悔しい。

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→ 自分の分に、これだけ残した。キュウリは不用。ナスは浅漬け用に小茄子だけ。あとは、デザート用にミニトマトを少々。

 数日前に台所の流しや生ごみ網などを手洗いというか、タワシで磨いてピカピカにしたのだが、今日、もう、黒カビが蔓延っている。夏の湿気は凄い。カビも凄い。昔、小林旭の歌う惜別の唄ってのが流行ったけど、ちょうどその歌詞のように、「君が緑の 黒カビもまだいつか見ん~♪」だなー。

 よそ様の食卓画像などが折々載っている。吾輩の食卓との違いを痛感する。ああ、うらやましい。カップ麺にパックのカレーを載せて昼食。まあ、夜にはナスの浅漬けとミニトマトを付してちょっと賑やかにするよ。

 昨日(土曜日)もだが、今日も暑い。でも、エアコンが必要な気温じゃなさそう。扇風機の風がちょうどいい暑さ。ほんの少しの昔の夏は、木造家屋の我が家では、隙間風も通り抜け放題だし、扇風機や団扇があれば、十分過ごせた。ただし、湿度が高い。夕立が来たら、涼しくなるのだが。

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