降りしきる雨に森を想う
台風の遠い余波で、低気圧が刺激され、我が北陸は富山も豪雨。
今日も週日の雨で、外仕事は断念した。
→ 玄関先になぜか臼。罅の雨樋から溢れ零れる雨水を受けている。この臼、父母が健在だった頃、毎年晦日に土間で餅つきに活躍した。こんな立派な臼を雨受けに使われるとは、誰も想像だにしなかっただろう。その土間は、やがて父母の寝室に建て替えられ、今はもう父母もあの世に旅立って7年となる。
戦後日本の奇書の筆頭にも挙げられる、沼正三著の『家畜人ヤプー(第1巻)』 を読み始めた。車中の友として。
ただ、ちょっと、車中の友にしては、奇抜過ぎたか。
確かにぶっ飛んだ設定だし、えげつなさにも満ちている。若い頃なら、多少はのめり込んだかもしれないけど、サドはともかく、残酷が売り物の小説が氾濫する今日、今更なーって感も強い。
イスラミックステートISの蛮行や、その前に17世紀にアメリカ大陸に渡った白人の、先住民を虐殺しまくった野蛮さ、16世紀以降、南米に渡ったスペイン人らの蛮行を思うと、人間はありとあらゆることを平気でやっちゃうもんだという醒めた認識からすると、この物語くらいは、それがどうしたという感じ。
← 沼正三著『家畜人ヤプー(第1巻)』 (幻冬舎アウトロー文庫)
日本軍も、戦中、朝鮮や中国大陸でやらかしちゃったしなー。たからこそ、敗戦後、アメリカ軍に占領されるとなると、自分達の蛮行への忸怩たる思いもあり、占領軍たる白人にどんな仕打ちをされるか、その恐怖感は半端じゃなく切迫したものだったろう。むろん、作家がどういう意図でこの作品を書いたかは知らないし、読んで確かめるしかないたろう。
森林管理官という公務員の職を辞めてまで、ドイツの森を守ろうとしている、ペーター・ヴォールレーベン著の『樹木たちの知られざる生活: 森林管理官が聴いた森の声』を読了した。
本書を買った際、「ほとんど藪のような我が家の小さな庭。樹木たちに囲まれると、一瞬、森の中にいるような感覚を味わえる。さすがに森林とはいかなけど、せめて想像の中では森を歩いてみる」などと呟いていた。
書店で見かけ、気になっての衝動買いの本。
ドイツ(など)の森と日本の森との違いに一番、びっくりした。
ドイツの森は湿度が低く、昆虫など虫が少ないという、これは決して人工の森だからではなく、風土の違いなのだとか。
→ 富山市。一昨日以来の雨。折々上がることもあるけど、降ると土砂降り。内庭にも水溜まり。
針葉樹と広葉樹の生き延びる戦略の違い、樹木たちの相互に競争しつつも協力し合う生存戦略。日本とは事情が違うのだろうが、それ以上に、朽ちて倒れた木々や、下生えの草が育たないだろう、あるいは木々を健康に育てるため、間伐材を処理しようとする、そんな計らいは反って森の木々には余計なお世話だという指摘など、驚くような指摘も多々。
動ける動物に比べ動けない植物。確かにそうだが、樹木たちなりの生き延びる戦略がある。それは種子(花粉)を遠くへ飛ばすこと。あるいは小動物に拾わせ、遠くへ運ばせること。
数知れない種が動物に、風に運ばれる。大半は死滅するかもしれないが、ほんの一部は生き残る。
それは、単に生き残るためではなく、長い樹木の寿命のうちに環境の激変を何度も味わうし、現在の環境自体、生存に適さなく可能性がある。
幾何かが適地で生き延びれば、種としての長い寿命が保たれるわけである。
個人的な関心から云うと、我が家の梅の木は幹がコケにびっしりと覆われてる。大丈夫なのかと心配になる。大丈夫だという説はネットなどで調べて知らなくはなかったが、本書を読んで、改めて苔むす状態は、木には何の問題もないと知ることができた。
著者によると、樹木たちは仲間同士で会話しているという、また、樹木には脳に相当する部位がある。それは、幹でも葉っぱでも枝でも樹皮でもなく、根っこだという。根を張ることで木は命を盤石にし、根を這い巡らすことで存命の可能性を探っているのだとか。
← ペーター・ヴォールレーベン著『樹木たちの知られざる生活: 森林管理官が聴いた森の声』(長谷川 圭訳 早川書房) 「樹木はさまざまな手段を使って語り合い、助け合い、森の命を繋いでいるのだ。ドイツの森林管理官が、長年の経験と科学的裏付けをもとに語る、新しい森の姿」。
驚いた…というより、我が意を得た見解もあった。樹木だって夜は眠るのだという。なので、夜の灯りは苦手だし、邪魔なのだという。
街灯の多い街路樹は不眠症に悩んでいるのかもしれない。あるいは、夜を賑わすために樹木に豆電球を無数にくっ付けて点灯するイルミネーションは、樹木には虐待に他ならない、とも。
とにかく、再読に値する素晴らしい本だった。惜しむらくは、紹介されている樹木やドイツの森の画像(写真)が一つも掲載されていないこと。
値段にも跳ね返るとは思うけれど、写真や目次は欲しかった。
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