« 降りしきる雨に森を想う | トップページ | フンボルトを再評価する(上) »

2017/07/05

ロマンポルノとAVの間に

 一昨日からの猛烈な雨。今日も覚悟していたが、朝方には上がっていた。
 それでも、また降り出すかもしれないと、午前中に慌ててアンズや野菜などの収穫のため、畑や庭へ。

1499228697509771

← アンズの収穫は、やや手遅れ。

アンズを朝、収穫したけど、やや遅かった。この数日の豪雨で、実の大半が落ちていた。収穫できたのは、これだけ。この倍が落ち、割れ、腐り始めていた。キュウリは腕ほどに。ナスはほどほど。アンズの隣のキウイフルーツは、大収穫になりそう。柿も、上出来かな。

 ナスとキュウリは浅漬け。
 キュウリは、前回は苦し紛れで、岩塩と塩昆布とポン酢で浅漬け。それなりに食べられたが、今度は、塩昆布と岩塩だけで浅漬け。明後日には口にできる。さて、どうなるか。

Romanporno

→ 『蘇る!日活ロマンポルノ - 1971~1988全作品アーカイブス』(徳間書店 Town mook)

 わが青春時代を彩ってくれた日活ロマンポルノ、もっと隠微にはピンク映画も。素敵な女優さんがいた。日活ロマンポルノの復活が一部で話題になっているようだが(「新作・日活ロマンポルノ、現代女性の性に眼差しを向ける映像解禁 ORICON NEWS」)、あの頃の輝きを得るのは難しいだろうと思う。
 当時の監督らには危機感があって、開き直りの姿勢もあったような。こうなったら、ところんやるぜ! みたいな覇気が特に若手の監督らに。女優陣にも懸命さもあったし、演技力のある俳優も多かった。ポルノ映画を卒業しても、多くのテレビドラマなどで活躍した俳優が多かった。

R50

← 『ザッツ・ロマンポルノ 女神たちの微笑み』(VHS版 NIK608_R-50 出演女優:白川和子・宮下順子・関根恵子・風祭ゆき・美保純・谷ナオミ) 「今、ここに蘇る女神たち!17年間の幕を閉じたロマンポルノのアンソロジー映画、タイジェスト・グラフィティ決定版。白川和子、宮下順子、関根恵子、風祭ゆき、美保純、谷ナオミほかオールスターが勢揃い。70~80年代を駆け抜けた女優を中心に名場面を紹介している」だって。 (画像は、「にっかつロマンポルノビデオカタログ」より)

[以下は、拙稿「やくざとピンク映画の頃」より抜粋]:
 当時の小生には、苦竹は場末のように感じられた(実際には、開けていたのかもしれないが、あまり足を踏み入れることのないエリアだったので、気分的なものもあって、場末感覚を嗅ぎ取ろうとしていたのかもしれない)。
 目当ては、ピンク映画オンリー。
 すでに日活ロマンポルノ路線も始まっていたが、そのしがない劇場で上映されていたのはピンク映画の類いで、幾度となく観に行った(日活ロマンポルノ路線が始まったのは、1971年頃で、学生運動の終焉の頃。あさま山荘事件が翌年にあったが、過激な運動熱を醒ますべく、意図的な国策でもあったのだろうか)。
 映画館というより、小劇場と呼んだほうがいいような小さな場。タバコやら何やら据えた匂いが充満していたのが印象的。
 そこにはストリップ劇場もあったはずだが、情けなくも観劇しなかったのが心残りである。
                              (以上、転記終わり)

9784846305734_1l

→ 『70年代ロマンポルノの記憶  河合孝雄ヌード写真集』(鹿砦社) (画像は、「TSUTAYAオンラインショッピング」より)

 往時の監督や女優など俳優さんたちは、AV全盛の現下の状況をどう見ているのだろう。
 AV映画は、ロマンポルノからは省かれる、あるいはそもそも撮影しない場面のみの連続。
 設定などに工夫があるのかもしれないが、今の世の中は、刹那的なのか、そのものずばりしか追い求めないのか。
 あるいは、所詮は人間(男女)はそこに尽きるだろ、という開き直りなのか。
 それとも、そこまでしないと刺激され反応しないほどに、感性が鈍磨しているということなのか。

|

« 降りしきる雨に森を想う | トップページ | フンボルトを再評価する(上) »

ツイッター」カテゴリの記事

写真日記」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/65498024

この記事へのトラックバック一覧です: ロマンポルノとAVの間に:

« 降りしきる雨に森を想う | トップページ | フンボルトを再評価する(上) »