邪馬台国位置論争はまだ続く
← 千田 稔 監『なぜ、地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか』(洋泉社 親書) 「地形と地図のなかに古代史を位置づけることで、歴史は具体的な姿を見せる」。 車中の友として、想像をたくましくしつつ楽しむ、はずが、昨日土曜日は仕事があまりに暇で残りの130頁を楽々読み切ってしまった。
千田 稔 監『なぜ、地形と地理がわかると古代史がこんなに面白くなるのか』を昨日読了。
気になることが少なからずあったが、門外漢の小生がとやかく言う筋合いにはない。
ただ、一点だけ。
それは、Q11の「なぜ、魏は邪馬台国の卑弥呼に使者を送ったのか」という項について。
魏志倭人伝には、倭国が「まさに会稽(呉の中心地域)の東冶の東にあるべし」と書かれている点を巡ってである。
当時の中国では、日本列島は朝鮮半島から南に向けて延びていて、中国大陸南部を治める呉の東側に位置すると誤解されていた、という理解である。
その根拠は?
邪馬台国の位置論争に関わる類書でもしばしば同じ論理が使われるのだが、いまだに決着を見ていない。それは、倭人伝の冒頭の記事の故である。
そこには、「帯方郡から萬二千余里」とあり、そのままたどっていくと、邪馬台国が九州のはるか南の海中に位置してしまうことになる。
この点について、日本列島が南に広がっているという誤解が(当時の中国に)あったとすれば、列島の「南」を「東」におきかえて認識され、邪馬台国の位置は九州の「南」ではなく「北東」だったことになる。これは大和説に有利な情報といえる、という。
ちなみに、本書の筆者(監修者)も邪馬台国の畿内派である。
これは、あまりに恣意的な曲解ではないかと思う。
それ以上に、中国(当時の先進国)に対し、非常に失礼な解釈だろう。中国の歴史書を書く者が、そんないい加減な認識を有していると、解釈すること自体、我田引水の極でなくて何だろう。
むしろ、倭国が「まさに会稽(呉の中心地域)の東冶の東にあるべし」とあるのなら、それをまず基本の認識に据えるべきではないのか。
すると、魏志倭人伝などの記述をそのままに理解すると、奄美大島か、その辺りの奄美諸島の島のどれか、という考え方もありえるはずなのである。
まずは、その可能性を徹底的に検証して、その可能性がなくなったら、改めて九州説か畿内説などを検討すべきというのが小生の考え方である。
実際、学界からは相手にされていないようだが、「 邪馬台国は奄美諸島(徳之島)説」を唱える人もいる。
邪馬台国の位置論争は、まだまだ決着を見そうにないが、いずれにしろ、文献の恣意的な解釈や、我田引水的に(方位などを)捻じ曲げる解釈はいただけないとは思う。
数年前まで、Oグループのスーパーを利用していた。が、次第に品物が劣化してきて(刺身や調理した料理が歴然と他店より見劣り)、Aグループに切り替えた(Oにしかない品物を買うときだけOへ)。
ところが、最近、Aグループがみるみる劣化してきた(逆転してAの刺身や調理した料理の質が落ちてきた)。士気が落ちているのか、値札の間違いが何度も。指摘しても、ありがとうの一言もなく、はー、とか、無言で品物を調理室へ。逆に今度はOグループのほうが、断然、刺身も調理品も良くなった。近いのはAグループなんだけど、食べるとなると、Oグループ店なんだよね。店長の采配? 経営者の手腕なのか?
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