日本と朝鮮との古来よりの絆
昨日は風邪で急遽、仕事を休むことに。朝六時前に会社に電話。
症状は前夜来の喉の痛み、咳、鼻水。前夜来というより、14日の金曜日、すでに喉が痛くなり、折々、クシャミ(咳)が出ていた。土曜日一日、静養していたら治るかと思ったが、つい、土曜日の夕方、外仕事したのがまずかったか、症状が悪化してしまった。
← 『日本の渡来文化 座談会』(司馬遼太郎/上田正昭/金達寿 編 中公文庫) 「文化の伝播には人間の交渉がある。朝鮮半島からいくたびも渡来してきた人々の実存を確かめ、そのいぶきにふれることにより渡来文化の重みを考える」とか。かなり前の本だが、今もって読むに値する。日本という国が成り立つうえで、如何に大陸、特に朝鮮半島からの渡来人の恩恵と影響を受けてきたかを物語る。特に日本という国家の成立には、百済の滅亡と、百済からの渡来人の力が預かって大きかったかを感じる。
(以下は、「蝋燭の焔に浮かぶもの(後篇)」より)
蝋燭の焔は真っ暗闇の中で何を浮かび上がらせるのだろうか。そもそも闇の中でポツンと立つ蝋燭が何かを照らし出したとして、それが何か意味を持つのだろうか。誰もいない森の中で朽ち果てた木の倒れる音というイメージと同じく、誰も見ていない闇夜の地蔵堂に立てられた蝋燭の焔の影も、ある種、夢幻な世界を映し出していると、ほとんど意味もないレトリックを弄して糊塗し去るしかないのか。
真夜中の病室。隣り合う人たちも、ようやく眠りに就いている。看護の人も先ほど見て回って行ったばかりである。そんな中にあって、夜の深みに直面して、何を思うだろうか。過ぎ越した遠い昔のこと、それともあるかないか分からない行末のこと、もしかしたら信じている振りを装ってきた来世のこと。消え行く魂の象徴としての、吹きもしない風に揺れる小さな焔なのかもしれない。
焔とは魂の象徴。だとして、それは一体、誰の魂なのか。自分の魂! と叫んでみたいような気がする。不安に慄き、眩暈のするような孤独に打ちのめされ、誰一人をも抱きえず、誰にも抱かれない幼児(おさなご)の自分の魂なのだ! と誰彼なく叫びまわりたい気がする。許されるなら、体の自由が利くのなら、今すぐにもベッドから飛び出して、非常灯からの緑色や橙色の薄明かりに沈む長い長い廊下を駆けて行きたいと思ったりもする。
できはしないのに。そんなことができるくらいだったら、とっくの昔にやっていることなのだ。胸の内の情熱の焔(ほむら)は誰にも負けないほどに燃え盛っている。なのに、誰に気遣い彼に気兼ねし、気がついたら焔は燻ったままに、肉体の闇からあの世の闇へと流されていく。水子のように。
一体、何のための人生かと思い惑う。ヘーゲルが言うように、「ミネルヴァの梟は、黄昏がやってきてはじめて飛び立つ」なのか。賢人でさえ、かのように言うのだ。凡愚の徒なら、末期の闇を見詰めるこの期に及んでやっと哲学する重さを感じるのも無理はないのだろう。
何があるのか。何がないのか。何かがあるとかないとかなどという問い掛けそのものが病的なのか。
闇の中、懸命に蝋燭の焔を思い浮かべる。そう、魂に命を帯びさせるように。それとも、誰のものでもない、命のそこはかとない揺らめきを、せめて自分だけは見詰めてやりたい、看取ってやりたいという切なる願いだけが確かな思いなのだろうか。
きっと、魂を見詰め、見守る意志にこそ己の存在の自覚がありえるのかもしれない。風に揺れ、吹きかける息に身を捩り、心の闇の世界の数えるほどの光の微粒子を掻き集める。けれど、手にしたはずの光の粒は、握る手の平から零れ落ち、銀河宇宙の五線譜の水晶のオタマジャクシになって、輝いてくれる。星の煌きは溢れる涙の海に浮かぶ熱い切望の念。
→ 仏の慈悲の光、命の炎を描いた《蝋燭》 「没後に脚光を浴びてきた孤高の画家・高島野十郎展」より
蝋燭の焔もいつしか燃え尽きる。漆黒の闇に還る。僅かなばかりの名残の微熱も、闇の宇宙に拡散していく。それでも、きっと尽き果てた命の焔の余波は、望むと望まざるとに関わらず、姿を変えてでも生き続けるのだろう。一度、この世に生まれたものは決して消え去ることがない。あったものは、燃え尽きても、掻き消されても、踏み躙られても、押し潰されても、粉微塵に引き千切られても、輪廻し続ける。
輪廻とは、光の粒子自身には時間がないように、この世自身にも実は時間のないことの何よりの証明なのではなかろうか。だからこそ、来世では誰も彼もが再会すると信じられてきたのだろう。
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