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2017/06/05

体毛忌避という悪夢

 最近、アンダーヘアの手入れを勧める、たぶん女性に向けてCMが頻出しているらしい。女性がアンダーヘアの手入れをしているのか(放置しているのか)、吾輩には分からない。ただ、一般論として、体毛の手入れを勧奨する部位がどんどん広がっていることは言えそうである。すね毛や産毛、腋毛に眉毛などなど。体毛の手入れについては、ターゲットが男性にも触手が伸びているようだ。

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← コルム・トビーン 著『ブルックリン』(栩木 伸明 訳 白水社) 「ジョイス、マクガハン、トレヴァーの系譜を継ぐ、アイルランド文学の至宝!」だとか。SNS友に、「アンダーヘアの処置については、今も昔も、女性の関心事であったようです。1950年代のアメリカに就職した、アイルランドの農村出身の若い女性の心の機微を追った小説『ブルックリン』にそんな場面が登場します」という情報をいただいた。映画化もされたようだ。小生は全く未知の作品。

 昔は、女性だって平気で腋毛を伸ばしていたし、眉毛も太かったら、そのままだった。親からもらった体は、たとえ体毛だって弄らない。せいぜい、洗髪のように清潔を大事にとは心がけるとしても。それがエステ業界の商売上の思惑もあるのだろう、男性女性を問わず、体毛を毛嫌いさせる風潮が蔓延り(エステ業界の戦略が功を奏している)、ただただつるつるの肌が理想と喧伝される。

 男性も昔は、胸毛は男のシンボルのようなものだった。すね毛や腕の毛、指など手の毛も、濃いほうが男らしいと見做されていた。だが、今では、女性だけじゃない男性もつるつるが理想だとCMで強調する。眉毛は細く薄くして、化粧品でラインを自在に引く。すね毛や腋毛のある男性は、(エステ業界の推奨の上では)もう、原始人か野蛮人の扱いである。体操の内村選手の立派な腋毛は、女性の目や感性にはどのように映っているのか。剃っちゃいなよ、手入れしなよ、なのか、それとも腋毛など手入れする暇があれば練習に集中したほうがいいよ、なのか。

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← 岡本綺堂/著『半七捕物帳(一) 新装版』(光文社文庫) 今朝、読了。やはり、岡本綺堂の捕り物帳は絶品だ。江戸の雰囲気が濃厚に感じられる。図書館から駆り出して読んで魅了されて以来、折々、読んできた。わずか五年前にも、今度は書店で買ってきて楽しんだ。語り口の粋なところ、いかにも世間通、人間通、それでいて人情味があって、読んで安心感を覚える。拙稿「「半七」再び!」や「綺堂ものは楽しい」「岡本綺堂『江戸の思い出』」など参照のこと。 

 ファッション業界では、二年先の流行(の色)を業界トップが決める(今年の流行色は二年前に決定されたものってことだ)。エステ業界は、ついにあからさまにアンダーヘアに触手を伸ばした。来るところまで来たと思いたいが、エステ業界がそこでとどまるはずがない。だって、商売のターゲットがどんづまりでは商売あがったりだろうから。では、アンダーヘアの先のターゲットとして虎視眈々と狙われる体毛は、一体、どの部位なのだろう。あるいは、頭髪か。髪の毛は現代女性には野蛮で原始的です、というCMが目に浮かぶ。髪の毛は、ウイッグで! とか。

 実際的な理由や目的が当人にあって手入れするのは、分かりますし、他人が口出しすることじゃないですね。ただ、仰られるように、エステ業界は商売ありき。ひたすら男女の体毛を更地にしていくんでしょうね。

 背景には、エステ(美容)業界の陰謀(というと大袈裟かもしれないが)、まあ商売上の都合があったと憶測せざるを得ない。  肌の手入れ、髪の毛の手入れ、化粧品、エステ、ダイエットと、とにかく体を虐めるだけ虐めて、削れるだけ削って、太った体はダメ、痩せていないとダメということで、腋毛など、アッサリ、美容の対象にされちまったということなのではなかろうか。

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← 谷川 渥著『鏡と皮膚―芸術のミュトロギア』(ちくま学芸文庫2001/04刊) 「深みに「真実」を求めてはならない。なぜなら「生はいかなる深さも要求しない。その逆である」(ヴァレリー)からである」とか。拙稿「谷川 渥著『鏡と皮膚』」参照。

 怖いのは、男女を問わず業界の都合にあっさり乗せられてしまうってこと。今やつるつる肌が理想で、太っているのはダメ、男性も毛深いのは汚らしい、体型はスリムが一番、という業界の思うがままの価値観からはみ出して自己を主張するのは至難になっている。一方、人間の皮膚は内臓も含め、体を構成するだろう30兆もの体細胞に比べ、その3倍(あるいはそれ以上)の微生物が共生しているという事実が分かってきたということ、さらに何千種もの微生物との共生なしに人は生きられないことも。なのに過剰な清潔志向が強まるばかり。

 なお、小生は、下記の意見を述べたことがある(「脇目もふらず腋毛のこと(前篇)」より):

 肌を露出する服を纏う機会が増えたからとはいっても、必ずしも腋毛の処理の必要性が生じたという理屈に論理性(必然性)があるとは言えない。
 思春期に勝手に(自然に)生えてくる腋毛がチャーミングだし自然だという価値観がしっかり保たれていれば、腋毛だって今頃は安泰だったはずなのである( ? ! )。

 やはり、本当の背景には、エステ(美容)業界の陰謀(というと大袈裟かもしれないが)、まあ商売上の都合があったと憶測せざるを得ない。
 肌の手入れ、髪の毛の手入れ、化粧品、エステ、ダイエットと、とにかく体を虐めるだけ虐めて、削れるだけ削って、太った体はダメ、痩せていないとダメということで、腋毛など、アッサリ、美容の対象にされちまったということなのではなかろうか。

人肌や体毛関連拙稿:
はだかの起原、海の惨劇
木の葉髪…梳くいようなし?
脇目もふらず腋毛のこと(前篇)
ヒトはいかにして人となったか

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