熊の存在を匂いで感知する?
昨日(土曜日)、ある人と雑談していて、いろいろ興味深い話を伺うことができた。その方は、富山市の郊外、むしろ山に近い地域で生まれ育った。里山に近いこともあって、しばしば山へ山菜取りに出かけた。熊に遭遇することも珍しくはなかった。
← 橋本 広著『越中の峠』(北日本新聞社 1972年)
でも、昔は、(本州に生きるツキノワグマ)熊は、人間を見ると逃げるのが普通で、などなどいろいろ伺った。そんな中、熊の体臭は凄いもんだとも言っておられた。風下に自分がおれば、一キロ離れていても匂いに気づくと。
熊の生息するフィールドを歩く経験が豊富だと、ツキノワグマの体臭を知っていて、その独特な匂いで存在に気づくらしい。最近は、熊も人間を怖がらなくなってきた。里のほうの人間の供するエサの旨みに気づいてしまったこともある。鈴やラジオの音くらいでは平気になりつつあるとも。
となると、人間が熊の存在にいち早く気づくのが一番だろう。その手段として匂いが役に立つかもしれない。ワンちゃんに同行してもらうのがいいのかもしれないが、技術者に匂い探知機(熊センサー)を作ってもらうことは可能なのではなかろうか。
橋本 広著の『越中の峠』を読了した。父の蔵書である。書庫の奥から見つけ出してきた。
日本は東京(などの大都会)への一極集中がどんどん進んでいる。その東京も、遠からぬ将来、人口減少や高齢化社会の重みという課題を迎える。その地方版が富山市で進行している。コンパクトシティという名目のもと、限られた人口を路面電車の路線など、駅周辺に集めようとしている。
結果、(富山市街地から見た)地方の疲弊が加速している(肝心の市街地にしても、マンションなど高層ビルが増えてはいるが、期待の賑わいは、朝夕のほんの一時である)。
本書は1971年に書かれた本。そのころは高度経済成長期で、高速道路が縦横に作られ、新幹線が持て囃され(夢の超特急!)、市街地開発が進み(農村の疲弊などなど)、里山の減少が加速化した。
1970年ころでも、峠道が消えていくのを著者は目の当たりにしていた。だからこそ、富山県内の峠道を自らの足で歩いてその実態を伝えようとした。まだ消え残る小さな部落や峠道や山小屋や炭焼き小屋などを眺め歩いた。数十戸の部落が数戸に、そしてあっさり消え去ってしまう。あったはずの道さえ藪の中に呑み込まれていく。
→ 「突抜忍冬」 地味な花。裏庭でひっそり咲いている。
本書は父の蔵書の中から見つけた本。小生が大学生となり仙台へ向かった年に刊行された本である。息子のいなくなった家で父(母)は何を思っていたのだろうか。父母の旅行好きはその頃から始まっていたのか。仙台へも夫婦で訪ねてきたっけ。
さて、富山市のコンパクトシティ構想は、市長の二期目を迎え、ますます具体化しそうである。駅周辺だけの賑わい、しかも、駅への人の出入りが多い時間帯だけの賑わいに過ぎないと、市民は気づいている。でも見て見ぬふりをしている。寂れ行く山村の荒廃や対策には、市街地で上がる税金を補助金などで給付する。
そんなことで山村が、里山が守られるわけがない。本書が書かれて45年以上を経過した。これから本書で紹介されている峠道や部落などは、どれほど残っているのだろうか。
峠道が消えていくとは、どういうことか。人体でいえば、動脈しかない身体ということになる。毛細血管のない体。それは、人体の指先足先、手足、体表、それどころか眼も歯も毛髪も爪も何もかもが壊疽し壊死していくことを意味しないか。
志ある人に、本書で紹介されている峠道を訪ね歩いてほしい。あるいは全国のそれぞれの地域の山村や里山を歩いてみてほしい。特に若い人に。
せっかくの機会なので、「コンパクトシティはなぜ失敗するのか 富山、青森から見る居住の自由 - Yahoo!ニュース」などを参照のこと。
← アンドレア・ウルフ著『フンボルトの冒険―自然という“生命の網”の発明』(鍛原 多惠子【訳】 NHK出版)
アンドレア・ウルフ著の『フンボルトの冒険 自然という“生命の網”の発明』を読み始めた。
とてつもない知の巨人。地球上の生命体は全て網のごとく関連しあっていることを実証的に洞察。南米やロシアなどを実地調査。ダーウィンやゲーテやソローらに霊感や知的刺激を与えた。ガイアの思想の元祖。彼の書を読むほどの学識はないが、彼のことを知りたい。
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コメント
「熊に遭遇することも珍しくはなかった」 ― 知識としてはツキノワグマは方々に生息しているのを知っていましたが、北陸でもそれほどいるとは知りませんでした。
山間部が荒廃して行くと、余計にそうした生態系の変化が見られるようになるのかもしれませんね。もっと重要視するべき問題であると思います。
投稿: pfaelzerwein | 2017/06/26 23:41
pfaelzerwein さん
聴いた話は昔話です。でも、近年、熊の目撃情報が増えているのも事実。人を恐れなくなっている、あるいは人の供するエサのおいしさを知ってしまったのか。
とにかく、富山の市街地への一極集中の弊害が相当に出てきているように感じられます。駅前、駅の周辺さえ賑わえばいいなんて、乱暴な政策です。
投稿: やいっち | 2017/06/28 21:44