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2017/05/14

蔵からいろいろと

 今日も庭仕事。大仕事が待っている。この数年、剪定してきた枝葉。今は庭のあちこちの隅っこに山積みにしてある。業者を呼んで捨てるという手もあるが、カネも掛かるし枝葉は地の栄養になるはず。捨てるのはもったいない。なので、サイロ風な枝葉の投棄場を作ろうともくろんでいる。

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← ヒュー・オールダシー=ウィリアムズ著 『元素をめぐる美と驚き 上 アステカの黄金からゴッホの絵具まで』(安部 恵子/鍛原 多惠子/田淵 健太/松井 信彦訳 ハヤカワ文庫NF)「知られざる元素の文化史」であり、「周期表に並ぶ元素には、それぞれが持つ性質ゆえの特異な物語が秘められている。歴史から芸術まで幅広い逸話を紹介する科学読み物」だとか。

 問題は、場所。隣家に近いところはだめだし、樹木が育っている場所、畑はまずい。迷っているうち、蔵に目が行った。考えが整理できる前に、蔵の整理をすることにした。

 納屋のほうは、先月来、かなり整理してきた。まだ、やることがあるが、追々やっていく。
 一方、蔵の中には、貴重品はない(はず。父が十年ほど前に整理して、蔵の中にはカラの木箱、カラの段ボールがいっぱい。

 段ボールは、ストーブやテレビなどの箱。捨てればいいのに、父はまさかのためにと取っておく性格。
 ほかに、使わない自転車や七輪、練炭、衣装用の大きな木箱。東京の部屋を引き払った際に、富山に持ち帰った書類の数々。日記やブレイクスルー研究会の原稿類。父の俳句の原稿や印刷物。お酒好きな父が集めたお酒の本(ムック)。旅行のムック。父が凝っていた篆刻の作品や原稿類。
 びっくりするのは、瓶入りの梅干しが十個ほど。

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→ 車道沿いの壁面にある出窓。古くなって、庇がカバーのトタン板も含めて腐ってボロボロ。過日、トタン板の一部が風に煽られブランブランしてるのを発見してびっくり仰天。とりあえず、はがれたトタン板や腐ってボロボロの板などを剥がした。でも、本格的なh修理は、自分には無理。やはり、業者を呼ぶしかないか。壁面のトタン自体が塗装も落ちて、ボロボロなのだ。

 全く意外だったのは、文庫本が詰まっていた段ボール箱がひと箱。自分の書籍類は蔵からは全て出して整理したと思い込んでいたので、ひと箱分の文庫本が出てきたのは望外の喜び。すべての文庫本にカバーが被せてあるので、どんな本があるのか、まだわかっていない。

 そうそう、蔵からは父母の写真がたくさん。旅行好きな父母は、日本各地を旅行し、観光地で写真をパチリパチリ。すでに奥の部屋に父母の写真が山のようにあるが、今度見つけた写真は、父母共に若い。四十代の頃か。さらに、LPやSPレコードが数十枚出てきた。詳しくは見ていないが、民謡関係のようだ。母は民謡をやっていて、歌ったり三味線を弾いたり。各地へ(日赤の関係で)慰問に出ていたのだ。

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← オリヴァー・サックス著『タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代』(斉藤隆央訳、早川書房) 愛書の一冊。「男の子なら多くの子が一時期は過ごす鉱物好き、メカ好き、科学好きの頃。同氏は、非凡な人間の非凡な少年時代を映し出してくれる。ある意味、小生のヒーローの少年の時期を垣間見るような気分」。

 ヒュー・オールダシー=ウィリアムズ著の『元素をめぐる美と驚き 上 アステカの黄金からゴッホの絵具まで』を読み始めた。

 副題(テーマ)を見てもわかるように、理系のための話じゃなく、文系の人も興味を持てる本。科学少年を切望するも叶わなかった吾輩は、こうした本を読んで理系研究者願望を癒している。「妻を帽子と間違えた男」などで有名な精神科医のオリヴァー・サックスによる「タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代」(早川書房)も、少年時代は化学少年だった。

 実験のやり放題で、爆発騒ぎも二度ならず。普通なら親が止めるはずが、容認。子供の好奇心と探求心を決して邪魔しない。本書の著者も、周期律表の元素の数々を集めようと、身近ないろんな品物から元素を抽出する。理系少年って、こうなんだよね。そして、振り返ってみると、自分は宇宙や海の生き物などなどに興味はあっても、探求までには至らなかった。ここは素質がなかったんだと、納得するしかないと、遅まきながら思うのみ。

 ウンベルト・エーコ著の『小説の森散策』を読了した。作家である以上に記号論学者であるエーコの、一般向けの講義。
 小説を素朴な読者として読むだけで、記号論に限らず、方法論的自覚を以て読むことはなかった。たぶん、今後もないだろう。
 ただ、だからと言って、多少なりとも虚構作品を書く自分は、無手勝流に書くわけではない。

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← ウンベルト・エーコ『小説の森散策』(和田 忠彦 訳  岩波文庫) 「伝統あるハーヴァード大学講演シリーズの記録」だとか。「作家であり記号論学者である著者が,読者は小説をいかに読むべきか,作者は読者にどうよんでほしいと願っているのかを,記号論の概念を駆使してユーモアをまじえつつ解説する」。

 自分の場合、いろんな作家の作品に影響を受ける以上に、特に物理学(量子力学など素粒子論)に学ぶことが大いにある。
 物語を創るとは、仮構の現実を作ることに他ならない。路傍の花や草や虫や、吹き過ぎる風や空を流れゆく雲の融通無碍で変幻自在ぶり、そしてあなたへの思いを、あるいはあなたを丸ごとに、形のままに拾い上げ表現すること。

 小説は、言葉を使って織り成す営為だが、想念を形のままに紙の上に定着するには、シュレーディンガーの猫ではないが、想念が粒子崩壊していく様を連想させるものがある(少なくとも自分の中での体験からは)。

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