群盲 縄文という巨象を撫でる
今日は曇天から雨へ。天候からして外仕事はできない。
週日でもあるので、プールへ行くことも考えた。けれど、体が言うことを聞かない。お昼を過ぎても、体を動かす気になれないのだ。
体調不良?
← 『ユリイカ 2017年4月臨時増刊号 総特集◎縄文 JOMON』(青土社)
それもあるだろうが、隔日の週日の仕事で、日中の半ばころ、いつもなら取る小一時間ほどの仮眠時間が取れないことが大きい。長年の仕事の習慣で、17時間以上の営業中、その半ばころにしっかり仮眠を取り、営業を二分割して体調を維持してきた。そのリズムが狂っているから、体調の維持を保てないのだと感じている。
『ユリイカ 2017年4月臨時増刊号 総特集◎縄文 JOMON』を相変わらず日々10数頁ほどずつ読んでいる。
本書を読み始めたころ、以下のように書いた:
弥生以降にも興味はあるが、長さから云っても縄文時代は日本の人々には大きく土台を成していると思う。縄文思考なんて、腑分けしてこうだとは言いづらいだろう。ただ、あの火焔土器を見るだけでも、発想の異質さ強靭さ土俗性は想像以上のものがあるだろう。ただし、森や山、川、海、大地と親和して生きていたなどと縄文時代を理想化するのは、違うと思う。
列島にせいぜい数十万の人たちが生きていた時代なんて、自然に慣れ親しむしか生きられるはずがなかったことをもっと強く認識すべきだと思う。地震も噴火も、雨が降れば洪水は当たり前だっただろうし、風土病の類なども、とにかく何もかもが恐怖と畏怖の対象だったはずだ。生き物は闇の自然の深さの中で、恐れ戦くしかなかっただろう。仲間意識も強烈だったろう。リーダーは男だったのか、母親だったのか分からないが、そういったリーダーには絶対服従だっただろう。祭祀はどのようなものだったのだろう。人が生贄に供されることはなかったのか。
江戸時代どころか、昭和の初期だって、新月の夜の闇の深さは、我々にはもはや想像がつかないほどだったとか。逢魔が時という言葉がある(大禍時とも表記する)。「夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わる時刻。黄昏どき。魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙ると信じられたことから、このように表記される」という。日が暮れ始めると跳梁跋扈するのは魔物だけなのだ。まして丑三つ時は、「草木も眠る丑三つ時」という表現もあるほど。生き物さえ鳴りを潜める。これらの言葉は江戸時代に使われた言葉か。遡って縄文時代の闇の深さを思い知るべし。
さて、縄文時代について分かってきたことも多いが、謎や疑問のほうが圧倒的。そもそも、一万年以上をひと括りってのが、未解明の多いことの現れ。
縄文時代っていうと、縄文式土器。吾輩のような門外漢には、あの火焔式土器の印象が強烈。かの岡本太郎がその芸術性の高さを発見し世に知らしめたという思い込みがある。ところが、本書(の中の石井匠氏の論攷)によると、太郎は火焔式土器が好きだったわけではないし、最初の縄文を紹介した文章を書いた時点では、そもそも見たかどうかも不明なのだとか(見なかったともいいきれない)。太郎は、土器については縄文初期の素朴でごつごつした感じのほうが好きだったとか。
縄文について書いた最初の文章に火焔土器の写真を載せたのは、編集者との相談の上なのだとか。論文の中には火焔の文字は入ってなかった。ただし、太郎の縄文土器を絶賛する情熱的な文章と所謂火焔式土器の写真とがコラボし、太郎が火焔式土器を激賞した、縄文といえばあの火焔式土器、という思い込みが独り歩きしたらしいのである。だからなのか、逆に専門家らは、太郎の(実は誤解なのだが)説を表向き、無視する結果になったのかもしれない。
ただ、専門家が所謂火焔式土器について多くを語らないのには理由があって、そもそも何ゆえあんな形なのか分かっていなかったからでもあるらしい。縄文時代という長い、長過ぎる時代の全貌は今もって捉えられてはいない。上掲の永井氏によると、縄文時代中期の土鍋の中で、火焔土器は、文様の規格性という点からいえば、むしろ火焔型土器は、他の土器よりも画一的ですらある、という。
小生自身は、今までに発見され研究紹介されてきた縄文式土器(あるいは縄文時代の遺物遺構)の、本の一部すら知らない。まして、未だに発見されていない、あるいは海の底などで眠っていて、研究者らの手を待っている遺物遺構はどれ程あることだろう。なんて、小生、本書を半分も読んでいない!
「群盲象を撫でる(評す)」という言葉がある。群盲という言葉は悪いが、縄文の長き時代は、研究者らの努力の積み重ねにも関わらず、まだまだ群盲が巨象の尻尾などを撫でている段階なのだろう。
「青土社 ユリイカ:ユリイカ2017年4月臨時増刊号 総特集=縄文 JOMON」より目次を転記しておく:
■essay
ハンガリアン土偶とガラス越しの祝祭 / 土取利行
縄文時代のかおり / 日和聡子
大正時代にフランスで洞窟壁画を見た「史前学」者・大山柏、そして画家・藤田嗣治 / 五十嵐ジャンヌ
古代人を侮るな! / 松田行正
縄文と民俗の交差点――八ヶ岳山麓の「辻」をめぐりながら / 畑中章宏
■詩
シ――縄文 / 吉増剛造
縄文連禱 / 宗左近
■狩猟民族社会
縄文論序説――渡辺 仁の狩猟民族社会論をめぐって / 安藤礼二
海民・アイヌ・南島――境界に残存する「縄文」をめぐって / 瀬川拓郎
死者の行方――縄文人の死生観と現代 / 山田康弘
■普遍と固有
縄文はやがて終焉を迎える / 赤坂憲雄
■縄文農耕
圧痕法が明かす縄文人の食と心 / 小畑弘己
縄文農耕論の今 / 佐藤洋一郎
■神話
古事記神話にみる縄文的世界 / 三浦佑之
縄文神話について / 川村湊
地母神信仰と縄文人 / 吉田敦彦
■先駆者・岡本太郎
器と骨――召喚される縄文 / 伊藤俊治
火焔土器の迷宮――断ち切られたもう一つの「岡本太郎」 / 石井匠
縄文の文様――復元される声 / 柏木博
■かたちと触覚
経験としての縄文土器 破片から人格へ / 港千尋
先史のかたちと対話する / 五十嵐太郎+東北大学大学院五十嵐研究室
■表象文化
「女神土偶」と生成のコスモゴニー――縄文・古ヨーロッパ・ケルトを貫く文様表象 / 鶴岡真弓
森の民、旅の民、そして現代芸術――シュルレアリスムと縄文 / 巖谷國士
■骨と土
縄文人の骨 / 谷畑美帆
土から見た縄文文化 / 山野井徹
■海外からの視座
縄文に魅せられて――国際的な観点から / サイモン・ケイナー(久保儀明=訳)
■visual
縄文の人びと / 安芸早穂子
鵜を抱く少女の埋葬 / 諸星大二郎
縄文の光と影 / 港千尋
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